6/24(水)ついに目覚めてしまった
僕らが6/13に日本に帰ってからそろそろ2週間が経とうとしている。この間、僕はほぼ発狂というに近い多彩多様な症状を呈するに至った。僕は、自分は単純にコロナウィルスの出現に怯えてシンガポールに移動したのだと思っていた。しかし、それは違う。以前も言ったように、Covid、仕事、カネ。この三つにまつわる問題に突如2月に気付き、そしてほぼ無意識的に逃亡を図ったのだ。今にして思えばそういうことで、もしかしたら僕以外の人々は全てそのことに気づいていたのではないだろうか?僕だけが、勝手に自分の文脈でこのイベントを捉えていたが、客観的に見ればそうは見えないのだろうと気付いた。かつて311の地震が起きた時にも、僕は突如恐怖に襲われて関西方面に逃げた。その時と全く同じような精神状態に僕は陥っている。つまり、これは生存を図るための僕の無意識的な行動であって、いつも大きな災害の時にこのスイッチが入ってしまうのだろう。
今日、4月からの一連のブログ記事(コロナ戦記)を読み返してみた。すると、以前思っていた文脈とは全く違う形で、僕が本当に考えていたことがブログの端々から伝わってきたのだった。そう、僕が怯えていたのはコロナによるロックダウンではない。コロナそのものによる死でもない。確かに、コロナ不安による自分の不安定な面は多くあっただろう。しかし、本当の不安と悩みの原因はそこにはなかったのだ。
僕はシンガポールにいる間、多くの日本テレビ・ドラマを見て自分を慰めようとしていた。しかし、それは単純に、その場(シンガポール)から逃げるための現実逃避の行動に過ぎなかったのだ。あれだけたくさんやったオンライン仕事も、結局はその場にいる自分から逃げ出すための方便に過ぎなかった。例えどれだけ多くの仕事がこなせたとしても、3年前から始まっていたこの崩壊のスピードの前においては如何ともしがたい。というか、3年前からそれが始まっていたことに、今回日本に帰ってきて初めて気がついたのだ。つまり、目覚めるのが遅過ぎた。どうせ遅いなら、相方の言うようにいっそ目覚めないままの方が良かったかもしれない。
日本に帰ってきてから、精神的に強いプレッシャーがかかり僕の多重人格がさらに悪化した。最近では、もう他の人格が考えていること、聞いたことにアクセスすることすら難しくなってきている。そして、僕が知らないうちに何だか訳のわからないことを喋ったり行動したりしてしまっているみたいだ。それを全て把握しているのは相方だ。僕は彼女に聞かないと、自分がトータルでどんなことを話しているのか、そしてその一つ一つがどれだけ矛盾しているのかと言うことに気づくことが出来ないでいる。そして、後から彼女が義母と話しているのを聞くと、「え、この人これだけ矛盾してる言動してるわけ、これはひどいな」と他人事のように感じてしまうのだ。全て自分が考え行動していることに違いないというのに。
とにかく、シュールリアリズム感が毎日ひどい。朝起きるとまずは怯えた人格にスイッチして、将来のことをひたすら心配している。今では、メディアに映る全てのことが「僕以外の世界の人々」の世界としてしか映らなくなっている。そして、日常生活の離人症具合が半端ない。正直、全てのことがシュール過ぎて、僕がちゃんと生きてこの世界にいる実感が湧かない。そして、普段の食生活がとても荒れてしまっている。賞味期限の切れた食べ物を普通に食べていたりする。まあ、2週間の自宅待機だから仕方ないことではあるのだけど。
シンガポールに行く前に、僕は大量の食料を買い込み、そしてたくさんの家具を売り払ってこの準備をしていたようだ。どうしてあれだけのことを短期間にこなすことが出来たのだろう?それは、多分その作業を行った人格に聞いてみないと分からない。けど、僕としては気軽にその人格にアプローチすることが出来ない。なぜなら、この人格は何かを恐れて基本的に眠りについてしまっているからだ。よほど何かがないと目を覚ますことが出来ない。
世界の崩壊はもう始まっている。少なくとも、僕の中では。
6/16(火)日本に帰ってきてから超絶不安定
先週末、日本に帰ってきた。世界がこんな状況の時に、僕らは数ヶ月シンガポールに滞在していた。これってすごいことだ。すごく異常というか。帰りの飛行機はエアージャパン運航の週3便フライトだったが、エアカナダとの共同運航で北米などに乗り継ぐシンガポールからの客が多く、どちらかというと結構混んでいる印象のフライトだった。Social Distancingなんてあってないようなもので、普通に隣席と近い距離に座らせられたフライトだった。
成田に着くと3グループに分けて順に下車?する。最初が国際線乗り継ぎの客、次が日本入国の客(20人くらい)、で最後がなんだったけな忘れた。互いに1mの距離を空けながら順に降りていく。空港内の景色はとても異常で、ひとっこ一人いないロビーをゆっくりと帰国窓口に向かう。途中のエスカレーターは閉鎖されているので、ハンドキャリーの荷物を持ちながら階段を降りていかないと行けない。大変だ。
PCR検査は入国審査前のスペースで行う。順に並び、職員が記入した書類に基づき質問をし、それによって検査に進む。検査に使う綿棒はどちらかというと固めのもので結構痛かった。奥の方まで粘膜を採取し、そのまま透明な容器に収納する。
入国は極めて簡単なもので、降りたらベルトコンベアにスーツケースがすでに出ていた。ピックアップし、相方が出てくるのを待つ。外国人の入国は特に厳しく、結局30分くらい時間がかかったようだ。その後借り上げ車に乗り、家まで帰る。本当にここまで疲れた。
★ ☆ ★
さて。最近メンタルが超絶不安定である。いつも破滅系妄想ばかり見ている。シンガポールでCBの間ずっと部屋に閉じ込められている時に、神経がやられてしまったらしい。簡単にいうと、ちょっとしたことでも外界に変化があると「滅びるのではないか」という恐怖感が心を包む。それに合わせて、体の各部に異様な力が籠る。以前も書いたかもしれないが、Covid、仕事、金の3つについてあまりにストレスを長期間に渡って浴び続けたために、脳の方で処理しきれなくなってきたらしい。パニック発作、大うつも合併的に出ている。自分の将来に全く展望が持てなくなった。僕が今年の誕生日を迎えられるかすら怪しい気がしてきた。状況を改善するための対策をこっちに来てから行っているのだが、不安発作があまりに激しく、まともに仕事に集中できない。
思えば僕は小さな頃からいつもこうした症状に苦しめられてきた。もちろん誰にも相談しないでやってきた。というかできなかった。しかしここにきて思うのは、やはりきちんとした治療をしておくべきだったな、と。うちの母親はもう6年間も精神病院の閉鎖病棟に入院している。こういうものには遺伝があるらしいから、やはり親譲りのものなのだろう。自分的にはやや諦めの感もあるが、どうにか治らないかと期待する気持ちもある。
毎日、太陽の光を見ないような生活が続く。僕は外に出て人と会うのが少し苦痛になってきた。梅雨の日本はどことなく雰囲気も鬱陶しい。そして中途半端に暑い。僕は毎日、多種多彩な症状に苦しめられている。これが最後に行き着くのはどこになるのだろうか。そんな不安を抱きながら、今日もコロナ戦記を書いている。
6/5(金)僕を改革する
最近僕はとても不安定だった。あるいは、不安定がろうとしていた。
一つには2ヶ月続いたサーキットブレーカーが終わり、皆が厳戒体勢の中それでも日常生活に戻り始めたのを横から見ている状態になったからである。義家族は毎日仕事に出ていく。もちろん僕も、相方と一緒に部屋に籠もって仕事はしている。でも、なんとなく取り残された感は深い。だってもうすぐこの国を出ていくのだから。なんのために我慢したのだろう、とか思ってしまう。でも僕らが住む場所は、今はここではないのでしょうがない。
毎日相方に考えていることを話してカウンセリングしてもらっている。今朝は4時に目が覚めてしまって、それからずっとベッドでグルグル考え事をしていた。そのほとんどが妄想だ。自分でも妄想であることは分かっている。フライトが近づいて、僕の神経が過敏になっているんだろう。朝になって皆が動き出すと、現実世界は僕が考えているよりよほど優しく動き出している。少なくとも、僕が頭の中で考えているような破滅の気配は全くない。風は優しく吹き、時折通り雨が家の窓を叩く位だ。
僕の中にある破滅妄想、これが人生の大事なポイントでいつも邪魔をしてきた。ありのままの自分の姿が見えず、間違った選択をしてしまうことが何度かあった。もちろんそれはもうどうにも出来ない。それでも、僕らは徒手空拳で日本に移住し、なんとかここまで生き延びてきた。ほとんど奇跡的に。それを実現した力が、僕と相方にはある。僕らが自分たちを最強コンビと呼ぶ由縁だ。
6/2(火)そろそろ泣き尽したかな
世界は刻一刻動いていく。今日からCBが明け、シンガポールは次の段階に移った。つまり、完全マスク装着が義務となり、多くの人がバスやMRTに乗って職場に帰っていく。うちの義両親も義弟も通常通り仕事に出た。よって、家にいるのは相方と僕の二人だ。
誰もいない家というのはどれだけぶりなのだろう。この2ヶ月間、家には常に義両親がいて、時々姪や甥が遊びにきて喧しくしていった。家の周辺の環境もなかなか騒がしく、常にニワトリが早朝から鳴き叫び(なぜか放し飼いなのだ)、様々な騒音で眠りを妨げられる日々が続いてきた。僕はもうこれには慣れたから何も感じないけど、よくこんな生活をこれまで続けてきたとつくづく感心する。
僕ら二人の考えはもうすでに日本に戻った後の生活に向いている。少しずつ荷造りも始めた。僕にとってここでの生活は、自分の耐久度とか、心の闇とか、様々なものが炙り出されたとても得難い経験だった。僕はこんなシンガポールに来たのは初めてだ。今まで楽しいことしかなかった街が、一瞬にして人のいない廃墟と化してしまったのだ。僕は繊細過ぎるから、こうした変化に全くついていけなかった。でもとりあえず心をロックして、目の前の暮らしだけをなんとかすることに集中して今日まで繋いできた。相方の寛大な庇護の下。
シンガポールの家には核シェルターと噂される物置が大体ついている。今日は誰も家にいないのを良いことに、そこに籠もって声を出して泣いてみた。とても疲れた。体にダメージがきた気がする。でもそのあとは心がスッとした。僕にはたくさんの後悔があるようだったけど、でもそれも自分が生き抜いてきた証で、僕の履歴書に例えたくさんの穴があるとしても、僕は自分の履歴を肯定し誇りに思わなければならない。少なくとも一つのテーマで貫かれてはいるのだ。
その後、相方を前にまた泣きながら色々話した。もう僕には泣くことでこの心の澱を発散することしか出来なくなってる。こんな僕をきちんと受け止めて前を向いて歩かせてくれる相方は偉大だ。毎日色々なことを僕に吹き込んで、ただでさえ滅入るこのコロナ下の僕の生活に光を投げかけてくれる。
そう、今日一日だけ。この一日だけを生き抜くことが、全て未来に繋がっていく。
6/1(月) 鬱の嵐
ついに6月に入った。当たり前のことだが時間が経てば次の月が回ってくる。僕らのCB生活、つまりロックダウンも2ヶ月近くなり、そしてついに明日6/2からCB解除になるという。僕の気持ちはとても複雑だ。3月に半ばパニック状態で当地にやって来てしまった僕は、ネットで仕事が出来るというその点だけは最先端だけど、しかし当地でロックダウンに巻き込まれてしまい、こうしてようやくここまでやってきた。感慨深いとも思う。
僕はどこかでコロナを拾ってしまうのではないかと極端に恐れながら生きていた。しかし、人々はこの環境にも順応し、新しい常態ーNew normalに少しずつ慣れようとしている。そして僕らの当地への滞在もカウントダウンが始まった。こんなことが起きるなんて、というのが僕の偽らざる気持ちだ。
最近、僕は無意味にやる気を出している。具体的には、どうやって日本でwithコロナ期を乗り切るかだ。ささやかながら翻訳でお金も稼ぎ出した。少しずつだが、マイナスにふれそうな資金も元に戻り始めた。仕事はありがたいことに次から次へとやってくる。それをこなしてしのぐだけで毎日が過ぎていく。
僕はすぐ妄想にふける癖がある。「あれをしなかったら」「これをしなかったら」と妄想して、そうしたら今頃家があったかも、車があったかもとか考えてしまう。愚かなことに、今こうしてコロナが発生しているからそういうことを考えてしまう。もし2020年にコロナが来ないで、2011年に来ていたら?2010年だったら?資金面では、実は今より状態は悪かったのだ。今の状況は、なんとかやっていけないでもないくらいのものではある(相方に感謝)そう考えると今の状態は決して悪くない。
とかなんとか考えていると心のエネルギーが吸い取られてしまう。鬱発作の完成である。僕は最近、この鬱発作を一日数回繰り返すようになった。事実だから仕方ない。そして、その度に相方に話して僕の落ち込んだ気分を一緒に盛り上げてもらう。彼女は天性のポジティブシンカーだ。このコロナ下にあっても全くブレることなく、楽しそうに生きている。僕みたいに風の動き一つに一喜一憂するような人間とは全然違う。本人は「自分は宇宙人だから」というのだが案外そうかもしれないと思いたくなるくらい、彼女はパワフルだ。
なんで僕がこういう状況なのかは分かる。多分、日本に帰るまでのミッションが憂鬱なのだ。これだけ我慢したのに、安全に戻りつつあるシンガポールに滞在を続けることができない。そして、日本社会をあまり信頼していないから、いざというときに誰も頼れないのではないかと絶望的になってしまうのだ。でも、僕らより状況が悪い人々が社会にはたくさん存在する。僕らより先にそうした人々の生活が立ち行かなくなった時、政府はやはり放置を決め込むのだろうか?分からない。そんなことはないだろうな、とゆったりと構えるくらいの余裕が欲しいのかも知れない。色々な救済策が用意されているらしいから、いざというときはそれを最大限に活用して乗り切るしかない。
僕は目の前の翻訳に取り組む。少し鬱で集中を欠く嫌いはあるけど、でも集中してしまえば僕はとても幸せに過ごせる。寝ている時間と仕事をしている時間は何も考えなくて済むから好きだ。ヒマがあると余計なことを考えてしまうのかも知れない。今日一日だけを生きる、という僕にとって最大の難事(すぐ過去と未来に意識が向いてしまう)を少しずつ訓練で身につけていくしかない。
そう、訓練といえば自分の鬱感覚からのリカバリーも訓練なのだ。そして、人格交代を一定の状況に制御する訓練も必要だ。やれやれ、底をついてから色々なことを訓練しないといけなくなってきている。それでも、相方は僕に希望を捨てない。僕の将来には希望しかないという。彼女は偉大だ。僕は一生彼女に頭が上がらないなと思う。
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