僕のコロナ戦記7月分(日本編)

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7/17(金)生きているだけで精一杯

昨日、相方が「あなたは生きているだけで精一杯でしょ」と言った。いみじくもその通りである。僕は毎日、こうやって息をして命をつないでいくだけで精一杯の日々を送っている。過去への後悔、未来への不安。現在には本当に何もない。ポッカリと大きな穴が開いたような日々を送っている。様々なストレスを何とかやり過ごして(ベッドの上で)、行動化に至らないのがせめてものことである。

いわゆるGo toキャンペーン、東京都民は対象外とのこと、笑止である。いっそ東京税を取って、逆に東京都民以外の入都には一律1000円でも徴収してやれば良い。宿泊するなら3000円とか課してやれば良い。などとくだらない発想が出てくるくらい、割とどうでも良いことである。本当はこのキャンペーンで色々行きたかったのだが、残念でもある。

今日は金曜日だ。金曜日が終わると週末がくる。僕と相方は、それだけを楽しみにして何とか日々をつないでいる。そして、7月だというのにここ数日はとても寒い。毛布を出したくなりそうな位の寒さだ。シンガポールの12月が確かこういう天気だったっけ。夏なのにね。

コロナワールド、収まるどころかまた第二場が来そうだ。僕は第一波をシンガポールで耐え忍ぶだけでも結構大変だったが、今度は相方と二人きり、この東京の牢獄みたいな部屋に篭城である。明日はそもそも外出できるんだろうか?そして、相方が歯医者に行ったり、僕が相方と一緒にクリニックに行ったり、そういうことも安全に出来るんだろうか?それこそ、「コロナなんてないさ コロナなんて嘘さ 寝ぼけた人が見間違えたのさ」という童謡のように生きていくしかあるまい。

7/16(木)混乱

昨日から超絶気分が悪い。つまり、自分がいつまでこの世界にいる事が出来るかと考えている。基本的に、今の(そして昔からの)僕は死にたいわけではない。むしろ死を恐れている。出来ることならずっと生存していたい。

しかし、今は

①コロナ感染による死
②自傷・自殺による死
③経済的困窮による死

の3つに怯えている。
特に自分が入れ替わることにより、②によって僕の世界がなくなってしまうことが現実味を帯びてきた。

自分の現状や物事を考えると絶望感に苛まれる。何も考えずに外歩きをすれば良いと医者から言われたので、昨日は遠い方の最寄り駅まで買い物に出かけた。道中ほとんど女子供老人にしか遭遇せず、しかも梅雨の曇り空で薄暗くどんよりとした気分、途中で解離みたいな放心状態に陥りながら何とか帰って来た。1カ月前、この川沿いの道を死に場所を探しながら歩いたことが想起される。今はあれほど差し迫った感覚はない。でもこの焦燥感は何だろう。

毎朝調子が悪いのでいっそ寝ることにしたら少し楽になったけど、「私も仕事するより横になっていたい」と相方に言われた。どういう意味だろう。僕は自分を大事にして寝ていた方がいいのか、それとも早朝から覚醒して狂っていた方がいいのか。僕はこうしていることで自分を大事にしているのか、それとも遠回りに自傷しているのか。分からない。とても混乱している。今僕がすべきことは一体何なのか。何が僕を救うのか。それとももう救う術はないのか。分からない。

昨日はこれまで行った海外の話を相方とした。彼女は、またいつかヨーロッパに行けると思いそれが楽しみらしい。僕は自分が手放した仕事が悔やまれ、絶望感に襲われそして生きていたくなくなった。前の仕事があったからあれだけ気軽に欧米に行けたのだ。今はもうこうやって東京に幽閉され窒息しようとしている。どうして同じことを想起してこれだけ違いが出るのだろう。

コロナ感染者数が増えると僕は恐怖に襲われると同時に、しかし「こんなコロナ世界はもっと壊れてしまえ」と思う。逆に感染者が減るとほっとすると同時に「やはり世界は壊れないのか」と失望する。この二律背反は何だろう。これを思う僕が分裂しているから、同時にそういうことを思うのか。

もう体中が痛い。自分で殴った左胸は深く息を吸い込むと痛い。内臓もいくつか不快感がある。殴った箇所も調子が悪い。僕は結局自分に殺されるのだろうか、それともコロナにやられるのか。

世界の闇はまだ深くなる。夜はまだ始まったばかりだ。

7/15(水)コロナは続くよどこまでも

先週末、東京ではコロナ感染者が200人をずっとコンスタントに超えていた。僕は正直、東京の街を出歩く時に「コロナなんてないさ、コロナなんて嘘さ」とうそぶきながら歩いていたのだが、どうも第二波とか、前より強いのがやってきたとか言われると普通にビビってしまう。でも、政府や公的機関が正式に第二波を宣言したわけでもなく、メディアがそうやって煽っているだけ。だと思いたい。今週に入ったら100人台になっている。

僕が抱えている問題は、直接的にコロナが影響しているわけではないが、でも間接的には(ワンクッションおいて)コロナから多大な影響を受けている。コロナがなかったら、多分相方のビジネス状況も悪くないだろうし、もしかすると僕の状況も悪くないのかも知れない。でも、2020年にコロナは始まってしまった。これはどう足掻いても覆せない事実だ。そして、僕らは結局家から出ることもなく(相方のリモートワークは結局家から出る余裕がない位忙しい)、外で運動することもなく(だってコロナワールドではメリットがないし、そもそも梅雨の季節は家から出る気がしない)、まるでロックダウンと何ら大差ないくらいでずっと家にいる。しかも連日の低気圧だ。テレビを見れば、土砂災害、自然災害かコロナのニュースだ。これで気分が落ち込まない方がどうかしている。

いまだに僕はこれが現実であることを受け入れたくないと思っている。以前は6月中に破綻が訪れると思っていたが、でも近々破綻が訪れるのではないかと勝手に怯えている。でも不思議なことにこの気分は夕方になると消える。そして、真夜中に向かうに従ってどんどん薄くなり、しかし寝る前に少し戻ってくる。この1日の中で大きくスイングする精神のムードは一体なんだろう。そして、寝る前の人格と起きた後の人格は大抵違う人だ。しかし多分、どれも自分のパーツであることは間違いない。Altersというらしいけど。

僕は旅行に出たい。とりあえず、コロナがまた流行しそうな東京を脱出したい。だって、この家にいるメリットだった「都心への好アクセス」はもう全く意味をなさないのだもの。先週末までに、僕と相方は自分たちが行きたかったかつての「定番スポット」「定番レストラン」をほとんど回ってしまった。恐らく、近いうちに「もう大体全部回っちゃったね、次はどこに行く?」というセリフがどちらからか出てくることだろう。前から言っているけど、僕らは東京に帰ってきたって、2〜3週間もすればまた全てに飽きてしまうのだ。だから、1ヶ月に1回は海外に出張する生活を求めていた。しかし、今はコロナでそれが出来ない。というか、国内旅行ですら昨今の情勢だと行くのが躊躇われる位だ。そして、ロックダウンみたいな生活がもしかしたらまた始まろうとしている。何というか、全てがもう行き場をなくしたみたいな感じだ。

Go Toキャンペーン、色々物議を醸しているみたいだけど、個人的に沼津とか京都とか福島とか行きたいなあ。僕がいつまで今の生活を維持できているかわからないけど、ある程度自由に生活が出来ているうちに。

7/8(水)面談その後

相方の仕事は、コロナを受けフルリモートになった。無論IT関連なので、それ以前から仕事は普通にリモートで、本社がある市からかなり離れて住んでいることもあり、コロナ前は普通に週1回しか出勤していなかった。なので、今回のコロナワールド出現によっても仕事には全く支障がなく、僕と一緒に3ヶ月以上シンガポールに滞在してずっとフルタイムで仕事をしていたくらいである。なので、今日も彼女はずっと家から仕事をしている。僕と24時間一緒に過ごしながら。でも昔を考えるとこれって凄いことだ。

昨日の面談で、精神科医の先生は僕のメンタルを立て直す為にいくつかのアドバイスをくれた。

・1日に1時間くらい、何も考えないでひたすら歩く時間を作ること。
(ヨガや瞑想も悪くないけど、色々考え過ぎてしまうので何も考えずにただひたすら体を動かす時間を作る)
・1日にやることを少なくする。朝一つ、午後一つくらいで構わない。ベッドでずっと横になってるよりはマシ。
・仕事をやっても構わないが、日払いの単発のものにすること。できれば1日倉庫で作業するとか、そういうものがいい。らしい。
・自立支援医療制度を利用してリワークプログラムに通うこと。でも、必ずしもフルで通う必要もない。卒業すると仕事が探しやすくなるかも(?)
・相方が僕の人格にそれぞれ名前をつけて分類してくれる作業、素人でもこれを続けていいのか?→問題ない

正直、僕は3年前までバリバリ仕事をこなし、そして今でも普通にこなせると感じているので日払い単発のあたりでは「?」という感じだった。そこまで堕ちたか、とも思った。また、最後の相方の人格分類作業、これも不思議なもので、結局多重人格/DIDの存在が前提としてある作業で、しかもこれをやっても構わないという先生の発言は、つまり僕の多重人格状態が存在することを肯定した上での発言ではないのかと思う。しかし一回の面接では確定判断は出来ないという。

そしてその後保健センターの職員の方から電話があり、結局は昨日の面談はそれはそれとして、次に進む為にはどこかで主治医を見つけてその人の診断を用いないと自立支援/精神通院医療には進めないのだという。つまり二度手間で、もう一度昨日僕と相方がやったような状況のシェアをどこかのクリニックで行わないといけない。僕はこの話を聞いて正直全てが面倒になり、そこから調子が悪化してしまった。夕方からお菓子のビンジイーティングが始まり、そして夜寝るまで相方にずっとネガティブなことを吐きながら過ごしてしまった。自己嫌悪。

7/7(火)精神科医との面談

シンガポールから戻ってすぐ、僕は調子がどうにも悪くなりある所に電話で相談した。そこで、「地域の保健所に電話してみれば」というアドバイスを受けて、すぐ実行してみた。その際に、精神科医との面談が無料で出来るとのことだったので予約をしてみた。それが今日だった、という訳だ。

相方はこのためにわざわざ休みを取って一緒に来てくれた。開始予定時刻の15分前に来て欲しいとのことだったが、幸い家から徒歩圏内だったので余裕で間に合った。保健センターに行くと、電話で相談に乗ってくれた職員の方が待っていて、僕の現在の状況から生育歴までかなり広範囲に聞き取りが始まった。多分予定の15分では収まらず、30分近く予備面談をしていたように記憶している。それから、精神科医の先生との面談が始まった。

僕の状況ははっきり言って特殊である。ここに至るまでの経緯もかなり異常である。なのに、その場にいる人々はそれほど以上ではないかのような雰囲気で面談が進んでいった。先生は「はっきり申し上げて、あなたのケースは非常に特殊です」と述べた。「確かに解離があるけど、ここまで上手に解離を使って凌いでいる人を見たことがない」とも。「これは病というよりむしろ能力、スキルと考えた方がよく、もし解離がなかったらとっくの昔に生活が破綻しているでしょう」とのことだった。

しかし僕は今、自分達の生活がいずれ破綻に向かうのが怖くて色々動いている。というか、多分僕個人としてはもうとっくに生活が破綻しているのだ。そこを相方が必死で持ち応えようとしてくれている。しかし、自分の想像上の破綻が今にも差し迫っているかのように感じられ、そしてそれが日本に帰ってきた後に一気に強くなり僕の様々な症状が露わになったのだ。

僕は先生に、「相方の見立てでは解離性同一性障害と全般性不安障害が併発しているのですが、これは病気ではないのですか」と聞いた。しかし、先生曰く難しい所だという。全てが全て病気だとは言えないとも。つまり、今まで曲がりなりにもきちんとした生活が営めていた点を考えると、必ずしも全てが病のせいでもないのだという。

しかし僕が幼い頃から抱いていた苦しみはリアルなもので、特に対人関係の悩みは半端なものではなかった。僕の中では、自分のスペックが高めだったので(学校の勉強は出来た、体が大きかった、etc)決定的ないじめや破綻を回避しながら学校生活をなんとか完結できたのだと考えている。しかしその後、僕の引きこもり傾向は強く、人生のあらゆるところでそれが顔を出し、そして物事から逃げる癖がついた結果、僕は今こうして迫りくる破綻を恐れる毎日を送るまでになっている。

正直なところ、僕は自分の精神状態について何らかのヘルプが欲しい。具体的な、物理的な助けが欲しいと考えている。言葉だけの励ましや、気休めや、精神論で解決できる状態だとは思えない。しかし今回の面談では、そういう決定的な診断は下らなかった。解ったのは「解離がある」ということと、「幼い頃の虐待が影響を与えている」ということだけ。しかし先生は最後にメモ用紙に「解離/BPD」と書いていた。あれが何を意味するのか分からないが、しかしBPDという単語が出てきて、なるほどなと思った。

僕は昔BPDについて調べたことがあって、まるっきり自分に当てはまっており、かつ治療がほぼ不可能ということを読んで絶望した記憶がある。あれは10年近く前だろうか。それから僕はこのメンタルな問題を解決しようとせず、毎日の生活で精一杯で未治療のままここまできてしまった。なんでもBPDとDIDの患者は73%位カブるというデータもあるらしい。確かに症状を読むと、BPDの要素も僕にはたくさん当てはまる。「見捨てられ不安」も非常に強く、これで引き起こした問題も色々あった。僕は結局、集団の中に入っていきたいのに集団に入るとトラブルメーカーになることが多かった。ならばいっそと最初から回避的になることも多くあった。

そんなこんなで2時間近く時間を費やしたが、プロの精神科医からコメントがもらえたのは収穫だった。

7/5(日)ビタミンGの日

僕の世界が壊れ始めた話が、6月のエントリの最後だった。その後、僕はずっとシュールリアルな感じー離人症的な感覚ーを保ちながら、しかし時間は流れ7月に入り、そして1週間ほど経とうとしている。僕はシンガポールから日本に帰ってきた6/13の直後、この生活はとても継続できるものではなくすぐに破滅に見舞われると勝手に思い込んでいた。しかし2週間の隔離生活も終わり、その後仕事を探すために東京中を歩き回り、そして相方と普通に健康に(食生活は荒れているが)日々を送っている。つまり僕が勝手に妄想していた世界の終わりは、6月には来なかったのだ。

その間、本当に40数年の人生を最初から最後まで検証する勢いで色々な出来事を思い出した。相方の見立てでは僕は解離性同一性障害(DID)であり、そして全般性不安障害(GAD)も併発している。確かに彼女がシェアしてくれたリンク(英文)を見る限り、僕はこの両者にドンピシャ当てはまった症状が出ている。そして、どちらも今突然発症したものではなく、子供時代から同じような症状に見舞われていたので、非常に根深い。それが、シンガポールで2ヶ月間CBロックダウンにより家からほぼ一歩も出ない生活をしているうちに悪化し、そしてシンガポールの空港から成田空港に着き、PCR検査を受け無人の荒れ果てた(と僕には思えた)空港から出、無駄に豪華なハイヤーに乗って自宅に帰り着いた時に、その余りのパラレルワールドぶり(昔のゲームでよくあった、何かの天変地異によって平和な世界が荒れ果てた終末的な世界に変貌するアレである。FF6みたいな)に強いショックを受け、そしてさらに強く症状が出てきたとしか思えない。その後1週間は本当に人が変わったようになってしまった。自分で言うのもどうかと思うが。そして、この変わり果てたコロナワールドを受け入れようとしない自分がいた。家から一歩も出てはいけない自主隔離生活。しかし7月に入っても、僕らは必要がない限り、そして相方のリモート仕事が必要な限りずっと家に二人でいる。

しかし相方の仕事がどんどんタフになり、先週の平日は本当に辛い思いをしながら二人とも過ごした。正直、毎日朝が来るのが怖くて辛いと感じていた。しかし週末になれば、相方にも余裕が出て僕にも笑顔が戻って来る。当然、外はコロナワールドであり、東京の感染者数はどんどん増えている。これからどうなるか分からない。でも、今のところ僕らは外出することが普通に出来ている。そんなわけで、相方が誘ってくれて僕らはかつてのルーチンを再度体験すべく今日は家を出た。

最初にメトロで赤坂に行く。そこで某有名M寿司でランチを食べる。ここはかつて訪日外国人が大量に訪れていつでも並んで待たないと飯にありつけない店だったのだが、そこはやはりコロナワールドである、日本人しか来なくなったので開店20分前についても余裕の待ち順番5番だった。お店は感染対策のためテーブルも減り以前よりゆったり出来る環境になった。いつもの地元の日本酒(人気一!)と定番の寿司を頼む。今日は珍しく塩レモンづくしを梅寿司に変えたら量が多過ぎて大変だった。

日本に帰ってから以前好きだったものを食べても、何だか味が薄くなってしまった気がしてならなかった(コロナで儲からなくなったから手を抜き始めたのだろうか?)と考えていたが、しかし今日のM寿司はむしろ、以前より味が濃くパワーアップしている印象を受けた。何を食べても、以前よりよくなっていた。店員さんのサービスもそうだった。嬉しい誤算である。

その後豊川稲荷にお参りしたが、KinkiKidsの提灯はどこかに行っていてなくなっていた。ビックカメラで予備のLANケーブルを購入し、その後銀座に移動。つまりビタミンGの摂取である。最初に四丁目交差点のドトールに行く。ここは僕らがいつも夢を語り合う大切な場所である。何だかコロナワールドになり銀座も変わってしまった。以前の銀座人はあるいは皆東京から遠ざかっているのかもしれない。僕があれだけ欲しがっていた、中国人のいない銀座が戻ってきたわけだが、でも何だか垢抜けない感じの人々が多くて居心地が良くない。1時間近くカフェで相方とだべり、それから松屋銀座、三越、Ginza Sixとお決まりのルートを回る。途中顔なじみの店員さんと話をし、僕のデッキシューズを磨いてもらった。こうした変わり果てたコロナワールドにあっても、僕らを覚えてくれている人がいるのはなんとも楽しかった。その後、若松のあんみつをお土産に買い、Suriaでヨガグッズを見東急プラザを歩き(Kirikoラウンジは閉まっていた)、またメトロで最寄駅に帰った。それからマックシェークを買い、スポンジを買い、お肉を買い入れて家に帰った。晩飯は相方特製のスープである。

と、大量にビタミンGを摂取し、そして以前よりややテンションの落ちた感じで過ぎてしまった週末を惜しみながら寝た。寝る前に瞑想をして、瞑想している間は多重人格的な傾向が減少することを発見した。と、書き連ねてみると色々なことを一気に行った印象の日だった。とりあえず僕はその前何週間かの中で一番幸せな1日だったと言えよう。例えコロナワールドの真っ只中にいるのだとしても。

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