【小説】第5章:リバース

Chapter V - Reverse小説: Death and the flower
Chapter V - Rebirth to reverse, or reverse to rebirth
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I

5月の風が、頬をやさしく撫でて通り抜けていく。

半年ぶりの霞が関ビルで、有馬は田中と須藤の二人を待っていた。10時過ぎの中庭は通勤ラッシュもひと段落し、行きかう人々も落ち着いた感じである。

今回の事件の重大性に鑑み、本部はベトナムの現場にいた3人を日本に一時帰国させることに決定した。シンガポールへの帰国日未定のまま、一旦東京本部に出頭させ、今回の状況について報告ののち、派遣元に帰って帰国報告をするようになっていた。 本部の動きは思った以上に早かった。

事件が起きた次の日には、急遽事務局長が遺族を連れてシンガポールに飛び、そのままシンガポールオフィスから現地指揮を取っていた。次いで遺体がベトナムから日本に帰ることとなり、シンガポールから事務局長も遺族に同行して青森に帰ったのだった。

前所長の馬場は、事務局長に同行して現地の葬儀に参列することになっている。そのまま、官房付きに回され、この協会への派遣を解かれるらしい。有馬とはそのまま二度と会わずに日本に帰国することになった。彼の家族は学校があるので、ある程度時期を見て帰国するらしい。

しばらくすると田中と須藤が連れ立って、こちらに歩いてくるのが見えた。3人は短く挨拶を交わし、そのままエレベーターで東京本部のフロアに上がった。

「・・・以上ご報告いたします。」
3人は事務局長室でこれまでの経過を簡単に報告した。総務課長も一緒だ。
「とにかく大変でした。お疲れ様」
事務局長は眼鏡を直しながら言った。
「すでにシンガポールで次長から聞いていると思うが、馬場君はすでに所長職を解かれ日本に帰国しています。新しい所長は、遅くとも今月末までには赴任する予定です。」総務課長が引き取る。
「東京本部としては、今回の事件の衝撃もさることながら、君たち3人のアフターケアも非常に重視している。まず、今回の君たちのフライトはオープンチケットにしてあるから、シンガポールに戻る日は自由に決めてくれて差し支えない。決まったら追って本部とシンガポール事務所に知らせてほしい。」
「この後、もちろん派遣元に戻って一時帰国報告をするだろうが、ついでに地元でご家族にも会ってくると良い。温泉にでも行ってゆっくりすることだ」
有馬はまだ、どういう日程でこの日本滞在を組もうか考えあぐねていた。とにかく国際課には顔を出すだろうが、他に行く宛てもない気がする。

「また、次長からも話があったと思うが、PTSDやトラウマケアの観点から、君たち3人にはどこか適切なクリニックを自分で見繕って、カウンセリングに行ってほしいと思っている。こういう事件は、起きた直後こそ皆興奮状態だから逆に問題ないが、少し時間が経ってくるとやはり様々な身体症状が出てくるものだ。」
3人は頷く。
「もしカウンセラーに心当たりがないようなら本部でも紹介する。仮に自由診療であっても費用はこちらが負担するから心配しないでいい」
「わかりました」

田中と須藤は、そのままの足で今日中に青森に向かうらしい。
「今度、はやぶさって新しい新幹線が出来たから、八戸まで3時間くらいで着くのよ」そこから在来線で1時間も乗れば、むつ市の下北駅には問題なく着ける。そこから、三木の実家まではそう遠くない距離にある。
「有馬君も一緒に来ればいいのに」
と須藤は残念そうにしていたが、有馬は断った。現地でもあれだけ厳しい目にあったのに、さらに青森に戻ってその他大勢と一緒に葬儀に参列するなんて、余計気が滅入りそうだった。

(なんというか、君たちは本当に理想的な公僕だよな)
有馬は皮肉な目で田中と須藤を見た。彼ら二人は、シンガポールに戻った後、ひっそりと日本に帰国する馬場を見送りに空港まで行ったらしい。これまた、気難しい有馬にはとても出来そうにない芸当だ。
(情けは己のためなり、か)

有馬は本質的には不器用な人間では決してないのだが、人間関係に関しては不器用さを自覚していた。そして、不器用であることに常に苛立ちを感じていた。しかしこの年になればそう簡単に変われるわけでもない。

「申し訳ないですが、僕はベトナムでもう十分お腹いっぱいですよ」
2人も有馬の気持ちはよく分かるのだろう、深くうなずいた。「僕は先に福島に帰って、その足でほとぼりが冷めた頃に青森に行こうと思います。さすがに墓前に線香くらいは上げに行きたい」「じゃあ、またメールで連絡を取り合いましょう」
3人は霞が関で一旦別れた。

II

5月ともなると、福島盆地は30度近い真夏日が出現し始める。有馬は、午後の強烈な太陽の下、福島駅から県庁に向かう中央大通りをキャリーケースを引きながら歩いていた。今日の宿は県庁徒歩0分の杉妻会館だ。ここは職員組合の関係で安価に宿泊でき、利便性も良いので有馬の定宿であった。

まだ終業時刻には全然早いが、有馬はチェックインし荷物を部屋に置いた。すでに国際課には連絡を取ってあるから、このまま西庁舎に向かえばいい。今日は有馬のために課の有志が慰労会を準備して待ってくれているとのことだ。
(ああそうだ、建設にも顔を出そうかな)
有馬は西庁舎に向かう前に建設事務所にも足を伸ばすことにした。

福島建設事務所がある東分庁舎の4Fは、2年前とほとんど変わりがないように見えるが、さすがに職員はだいぶ入れ替わっているようだった。県庁は大体3~4年サイクルで異動していくので、2年も過ぎると半分以上は入れ替えとなる。

有馬は事務所を回遊し、懐かしい先輩たちに挨拶をして回った。皆、有馬がどうして今回日本に帰ったかなんて理由は全く知りようもないので、少しく驚きはするがまた屈託なく昔のように世間話をしてくれるのだ。
(ああ、ここは居心地がいいなあ)
残念ながら佐久間次長は浜通りに異動になってこの事務所にはもういなかった。しかし行政課には書記長先生をはじめ、歴戦の猛者がまだ半数以上残っていたので、有馬は簡単に今やっていることを説明して、そして事務所を後にした。

有馬が国際課に足を踏み入れると、課員の視線が有馬に瞬時に集中する。CIR(国際交流員)の二人とは初対面だ。執務室の前で簡単に挨拶をすませ、課長と主幹に連れられて打ち合わせブースで今までの状況を説明した。
「そうか、そういうことだったのか。なるほどそうか」
課長は優しい声音で有馬を労わるように言った。
「いや、去年有馬さんが体調を崩して2週間もシンガポールで休みを取ったって話を聞いて、本当に心配していたんだよこっちでは」
主幹も頷く。
「過労で倒れたっていう話だったが、課員の厚海君が別なルートで聞いた話だと、メンタルに来たということだったし。皆で心配してたんだ本当に」
「・・・ありがとうございます」「で、今度はこんな事件が起きたわけか」
「一体なんなんだあの事務所は?言いにくいだろうが、有馬さんも結局、パワハラを受けたわけだろう?正直に教えてくれ」
「そうですね、自分も結構厳しい局面はありました」
苛立ちを抑えかねた課長が、吐き捨てるように言う。
「全く国の奴らは。時々そういう勘違い野郎が出てくるんだ」
「有馬君!君さえよければ、別に来年3月まで我慢している必要なんかないんだ。すぐこっちに戻ってきてもらって構わない。人事評定になんか全く影響ないから、一切気にしないでいい。今や、君の心身の健康が一番大事なんだ」
主幹も強くうなずく。
「本当に、うちの大事な職員にこんな思いをさせるなんてとんでもない。ましてや、その亡くなった職員の方とその派遣元の人々のことを考えたら、とても笑って済ませられる状況じゃない」
課長は有馬を強く見据えながら言った。
「有馬君、すぐシンガポールを引き上げて帰ってくるか?どうする?」
その時有馬の脳裏にはいろいろな人の顔が浮かんだ。
「・・・いえ、出来る限り2年間の任期を勤め上げてからここに帰りたいと考えています」

その晩、有馬は国際課の人々と痛飲した。ベトナムで何が起きたのか、ここまで来るともう話す筋は完成しているから、有馬は相手の反応を見ながらテープレコーダーのように同じ話を繰り返せば良い。どうせ筋書は最初から決まっている。
「それはご家族が実に痛ましい」
皆酔っぱらっているから、反応も激烈になってくる。
「有馬君、そこは一つ非公式にその所長の野郎を殴ってしまってもいいんだ」
「そうですね」有馬もかなり飲んでしまっている。
「でも本当に、その職員は何一つメッセージを残さずに逝ってしまったんですよ。僕には分からない・・・」

◇ ◇ ◇

いや、違う。
(お前は噓をついている)
安酒の酔いの中で、もう一人の有馬は反駁する。
(お前は実は知っている)
有馬には分からないわけがないのだ。

実は、彼は深いところでよく知っているのだ。
なぜなら、その前の年から、自分こそがそんな死を希んでいたのだから。
昼間のプールサイドで見上げたシンガポールの太陽は濁っていた。
失敗作である自分は、もう全てが嫌でどうしようもなかった。
そうして、未練がましく生き延びているうちに、
三木が突風のようにやってきて、
そして有馬の目の前で
臆病な有馬がやろうともやりきれなかったことを
一言の予兆もなく簡単にやってのけ、
そして去ったのだ。

少なくともそれが有馬の立場から見た今回の件の解釈だ。

しかし有馬が本当に分からないのは、この事件がどうしてその時そこで起きたのか。それは何かの意思なのか、それとも単なる偶然なのか。しかし大事なのは、「何か」の有無、ではない。それはどうでもいい。本当に大事なのは、
自分がこの出来事にどんな意味付けをするのか。
本当に分からないのは、その「意味づけ」の部分だ。アルコール臭い息をしながら、有馬はそう繰り返し考えた。

 

「・・・と思うんだ」
「はい?」
誰かに話しかけられていたらしい。
「いや、実は本庁でも時々そういう話があってね・・・」
課員の一人が自分の体験談を話し始める。
しかし、有馬にとってそんな話はどうでもよかった。

(俺は、そういう事件に巻き込まれた自分に同情してほしいわけじゃない。そして、似たような体験をした誰かと、辛さや苦しみを分け合いたいわけじゃないんだ)
さらにアルコールを空ける。
(例えばまさに自分がビルから飛び降りようとした時に、違う人が目の前で飛び降りる。そのあとの波紋をさんざん苦々しくかみしめた後で、果たして人は自分も飛べるものか、とそういうことだ)
有馬は知っていた。
人は、死にたいから自死を選ぶのではない。
「生きていたくなさ」がある分水嶺を超える瞬間が、誰にでも訪れうるのだ。
そこで起きることは、弱さでも強さでも何でもない。
恐らく、その一段のステップそのものは本当に軽いのだ。
愚かな者だけが、自我の強弱を語る。
弱いから、そっちを選ぶと思いたがる。

有馬にとってそれは違うのだ。
「それでも生きていたい」と思わせる誰かが、
あるいは何かが、そこにあるかどうか。
つなぎとめてくれる誰かが。

有馬にとって、彼がいる世界と三木が行った世界を隔てる壁はとても薄いもののように思えた。そして、三木を囲む人々が見せる悲しみに、有馬は正直違和感を禁じえなかった。彼はもはや、全ての苦しみから解放されたのだ。
誰がそれを責めることが出来よう?

(少なくとも)
有馬は酔いの中で思う。
(俺にはもうあの手は禁じられてしまった)
あるいは今回、彼が得た唯一の収穫とも言えるものだった。

◇ ◇ ◇

泥酔した有馬は、その晩どうやって部屋に帰ったか覚えていない。
気が付いたら、杉妻会館の和室に一人寝ていた。律儀にペットボトルのお茶は半分開けてテーブルに残してあった。

III

有馬にとって、朝の新幹線で福島から郡山に向かうことはむしろ新鮮なことにすら思える。昔通勤していた頃とは逆方向に進むわけだ。

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