【福島県シンガポール通信第04回】ミャンマー新首都ネピドー訪問 2007.7.15-18

福島県シンガポール通信
Trip to Nay Pyi Taw, Myanmar 2007
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前回の我々CLAIRの訪問を受け、ミャンマー側で内部調整の結果、専門家派遣事業に関する協議を新首都ネピドーにおいて行うことが可能との返事があり、再度ミャンマーを訪問することになりました。

再びミャンマーへ。今度は新首都ネピドー訪問

以前の報告で説明したように2005年11月に移転された新首都で、基本的に旅行者や一般人の立ち入りは許可されていない都市です。どこまで写真を掲載していいものか悩みどころですが、雰囲気だけでもお伝えしたいので厳選して掲載したいと思います。

通訳は最終兵器のあの人をご指名

なお今回の出張には、いつも我々が利用している在ミャンマーのS旅行社のはからいで、心強いリーサルウェポンが随行してくれることになりました。なんとあの、知る人ぞ知る椎名誠著「秘密のミャンマー」で、1ヶ月に渡り椎名氏一行に同行したチョー・トゥ氏が今回我々のガイドを担当してくれるのです。前々からリクエストしていたためにとても楽しみです。

頼れる我らがチョーさん

国内線で一路ネピドーへ

前日の夕方にヤンゴン入りの後定宿のTホテルに投宿し、ロビーでチョーさんと対面しスケジュール確認。その日は早めに就寝です。次の日、朝5時にホテルを出発するという強行軍で国内線の空港へ出発しました。

実はミャンマーの国際空港は最近出来上がったばかりのピカピカの建物なのですが、それまで使用されていたヤンゴン国際空港の建物が今は国内線の空港になっており、場所的にはほとんど隣同士なのです。90年代から数年前にかけてミャンマーに旅行したことがある方なら、「ああ、あの古い空港の建物だな」と思われるかもしれません。

yangon domestic terminal

ヤンゴン国内線ターミナル

エアマンダレーという民営航空でネピドーまで1時間のフライトです。

到着したネピドー空港は、予想外の小ささでした。基本的に、政府関係のフライトとその関係者しか利用しないので、この程度の大きさで十分なのかも知れません。それにしても周辺の風景…なぜか懐かしいこの感じ。そうです、私の地元郡山市の郊外がまさにこんな感じなのです。

ネピドー空港

さすがに郡山市郊外ではもう牛は使っていないと思いますが、それにしてものどかです。

ネピドー近郊の風景

ミャンマー内務省訪問

午前中に内務省とのアポが入っていたため、一路内務省へ。
以前の投稿にも書きましたが、局長が昨年東京に来られた時に短時間ですがアテンドしたため面識があり、その時の東京訪問の話なども出て、和やかな雰囲気で専門家派遣に関する協議を行うことが出来ました。今後、ミャンマー側では大臣クラスまで話を上げていく必要があるということで、シンガポールに帰ってから正式なレターを送付するなど、今後の手続きについて充実した話し合いを持ちました。

そして市内視察

午後からは政府職員にも同行してもらい、ネピドー市内の視察へ出かけます。

もともとここはピンマナという地方都市の郊外にあたり、今回の首都移転の話が出るまでは本当に何もなかった所らしいのですが、今や至る所で建設ラッシュです。

 

カラフルな建物は公務員宿舎です。

こちらのパゴダは、ヤンゴンのシュエダゴンパゴダを模して作られた、いわば弟分のような建物らしいです。

ネピドー市内にはこの他建設中の国会議事堂や、各省庁の建物が建てられており、公務員官舎も多数あって、とても数年で作り上げたとは思えないくらい多くの建造物がありました。道路を疾走する車は建設資材や土砂を運ぶダンプ等が主で、住民は主にバスやバイクを移動手段としているようです。

内務省高官とフランス料理店でディナー

この日の夕方は夕食会が開かれ、内務省職員の方々と日本とミャンマーの話や今後の事業協力について活発な意見交換を行いました。特に印象に残ったのが、シンガポールとミャンマーの関係が意外と深く、子弟をシンガポールに留学させている人や旅行で数回訪れたことがある人など、シンガポールがミャンマーにとって身近な存在であるような印象を受けました。

マーケット視察

そして明くる日。少し時間が空いたのでネピドー市内に2カ所しかない市場の様子を視察しに行きました。なんでも、ネピドーの建設ラッシュにより周辺都市から労働人口が流入し、大分景気が良くなっているそうです。この市場にいる人々も何らかの形でその恩恵に与っているのでしょう。

そしてやっぱり。この市場にもありました、毎度おなじみのレトロ日本車シリーズ。

雨期のミャンマーはバケツをひっくり返したような雨

さて、ネピドー滞在も終わり17:35発のヤンゴンエアー(民営航空)でヤンゴンに戻ることに。予定では1時間のフライトの後、ヤンゴン市内で日本大使館の職員の方お二人と夕食を共にし、今回の訪問結果について報告するはずでした。

はずでした、ということは…。そうです、予定にはいつでも変更がつきものなのです。

ホテルをチェックアウトする時から豪雨です

ミャンマーは今雨季、折しもネピドーは豪雨。遅れることはしょっちゅう、それどころか場合によっては予定より早く出発することもありうるという、驚くべきミャンマー国内線事情を耳にしていた我々は、2時間以上早く空港についてロビーで飛行機を待つことにしたのでした。ところが…待てども待てども飛行機は到着しません。

まぁなんらかのアナウンスがあるだろうと思っていたら、そろそろ17時近くなってきました。待合室の皆もなんとなく不安そうです。
「さすがにこれはおかしいぞ?」と思い、顔を見合わせる四人。(私+所長+調査員+チョーさん)
「ちょっと確認しに行ってみますね。」と、チョーさんがカウンターに向かいます。そのときはまだ事態を全く把握しておらず、(やっぱり遅延か。どれぐらい遅れるのだろうか…。夕食会が遅くならないといいなぁ。)などとのんきに考えていました。

フライトは今日飛びません

が。

しばらくたって、チョーさんが足早に戻ってきます。
顔が笑っていない。
あ、やな予感。

まさか。

真顔で戻ってきたチョーさんは開口一番、我々に決断を迫るのです。「決めていただかなければなりません。」ん、なんだい藪から棒に。「今日ここに来る飛行機は豪雨のため着陸できず、ヤンゴンに戻りました。」
戻った?どういうことでしょうか。
「つまりキャンセルということですね。」
ええーっ!そんな冷静に分析しないで下さいチョーさん!
「しかも4時半ぐらいにはそれが分かっていたようです。」
だったら早よ教えんかいヤンゴンエアー!

…驚愕の事実を同時に知らされた待合室の客は、皆「またかいな、仕方ない明日来るか」という顔をしてぞろぞろ去っていきます。そして取り残された我々4人。さぁどうしましょう。ちなみに所長はその翌々日から別の出張があるため、なんとしてでも翌日中にシンガポールに戻らねばなりません。

オプションはないことはない。しかし…

しかも翌日のヤンゴン→シンガポールのフライトは9:50発。ネピドーでは携帯電話がほとんど使えないため、シンガポールに連絡を取ってフライト時刻を変更するのも難しい状態です。やはり翌朝8時にはヤンゴン国際空港に着いている必要があります。

「でも大丈夫です、こういうこともあろうかと万一のためにドライバーさんに待機してもらってますから。」

おおっ、さすがチョーさん頼りになります!

「ただし…ネピドーからヤンゴンまでは道路状態が悪いので、8時間以上かかる道のりです。夜道を行くのはちょっと危険ですし、航空会社の話では明日の同時刻の便に搭乗出来ると言っていますので、今日は元通りここネピドーのビラに泊まった方が…」

ダメです。どうしても明日朝の便で帰らねばならんのです。…10秒くらいでしょうか、4人の頭が高速で回転している音が今にも聞こえてきそうな沈黙が流れた後、所長と視線が合いました。

「行くか!」
「行きましょうか!」

じゃーん。決定。

そして長い旅が始まった

車はミャンマーの高速道路(でもスピード出ない)を疾走

ネピドーをあわただしく出発したのが夕方18:00頃。途中ミャンマー名物ヤキメシ(チャーハンのようなもの)を仕入れたり、ネピドーを出たところで携帯がつながるようになったため、大使館員の方に連絡を取り夕食をキャンセルするなどバタバタする中、我らが80年代物パジェロは走り続けます。

疾走する車内から

道路は幹線道路とはいえ片側一車線、途中事故を起こして大破している車を横目に見ながら、雨の降りしきる中約8時間半の疾走でようやく無事ヤンゴンに到着したのが翌18日午前2時半過ぎでした。

ホテルには午前3時近くのチェックインで午前7時半過ぎにチェックアウト。これまでの最短ステイ記録です。

空港に向かう車内から(無事帰れて良かった)

そして無事9:50過ぎ、我々3人はシンガポールに戻る機上の人となったのでした…。

(了)

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所内の職員向けの研修として、インドネシアの大学教授のお二人を事務所に招いて勉強会を行いました。日本とは少し違うインドネシアの地方自治システム。気さくな対応に、応接するこちらも大変助かりました。

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