【福島県シンガポール通信第07回】タイ・バンコク「Japan Travel Fair」出展(観光PR) 2007.9.21-24

福島県シンガポール通信
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CLAIRシンガポール事務所では東南アジア各国で開催される旅行フェアにPRブースを出展し、日本の地方自治体についてパンフレット配布を中心とするPRを行い、同時に来場者にアンケートを行うことで日本旅行や希望訪問地に対するニーズ調査を行っています。
今回私もタイの首都バンコクに出張し、3日間に渡りCLAIRブースにおいて日本の観光地をPRしてきました。

(本稿は2007年に僕が福島県国際課HPに寄稿した記事を再構成したものです)

バンコクのショッピングモールで観光PR

VJC(ビジットジャパンキャンペーン)とCLAIR

近年、日本国内では外国人観光客をもっと多く誘致しようという気運が高まってきています。Visit Japan Campaign(略称VJC)と呼ばれる日本観光キャンペーンを、独立行政法人国際観光振興機構(JNTO)という機関が音頭を取って、2003年から精力的に展開しているところです。

タイの訪日事情

現地を訪れる前の事前情報として、以下の情報を得ていました。

●タイから日本に来る旅行者には富裕層が多い
●リピーター率が非常に高く、代表的な観光地(東京、京都、大阪等の大都市)より地方都市の訪問を希望する傾向が強い

この事前情報をもとに、現地ブースでアンケートを行い、実際にタイ人がどのような目的で日本に来るのか?人気の観光地はどこか、などという詳細情報を確認していきたいと思います。

会場はセントラルワールド

今回の会場は、バンコク市内にあるセントラルワールドというショッピングセンターの1階フロアです。各企業、団体、独自に出展している地方自治体(仙台市、鹿児島県、神奈川県など)のブースが円形に並び、その中央では一定時間おきに各種イベントが行われ来場者の目を楽しませています。

会場はブースで説明を聞く人や、イベント目当てに来た来場者でいっぱいで移動もままならないほどの熱気です。私が最初に到着した時には、なぜか黒服の忍者軍団が芸者を連れて登場して、体を張ったパフォーマンスで観客の喝采を浴びていました。地元報道陣も群がって撮影しています。すごい雰囲気です。

そんな中、我々CLAIRのブースではあらかじめ各都道府県から分けていただいた観光パンフレットを展示し、日本の地方旅行に興味ある人をターゲットにPR活動とアンケート活動を繰り広げたわけです。

タイ人に人気の観光地は

実際にブースに立って来場者の声に耳を傾けてみると(タイ語は全然わからないので現地スタッフからの又聞きですが…)、確かに大都市よりも地方都市の情報を聞いてくる人がかなり多いことに驚きました。後からアンケートを集計して分かったことですが、私がブースにいない時間帯に取ったアンケートの一つに「訪問したことがある場所 福島」という記入があり、もしその場にいたら「福島のどこに行ったんですか!?どうして福島なんですか?」と詳しく聞けたであろうことが残念です。

熱心なタイのサブカル好き

それにしても、タイはかなりの親日国であるという話は昔から聞いていましたが、日本のカルチャーがここまで浸透しているとは思いませんでした。会場の別な一角には、観光PRとはまた別のスペースが設けられ、各種日本食の出店が出て賑わっているのですが、ある時などここの中央特設ステージでコスプレコンテストが行われていました。

写真では分からないかも知れませんが、参加者は全てタイ人です。かなり気合いの入った変装ぶり。しかも会場の一角では何やら撮影会のようなものまで行われています。写真を撮る人も撮られる人も全て地元の人々です。どう考えても外国の風景とは思えません。日本よりも日本的な、マニアックな風景がそこに現出されているのです。

バンコクの初印象

私にとってバンコクは初めての街でしたが、会場のセントラルワールドという大型テナントから外に出ると、夏の東京と同じ匂いがします。夏の雨上がりのオゾン臭い匂い?とでもいうのでしょうか。街中を歩いても、バンコクが東南アジアではシンガポールと一、二を争う大都会であることがよく分かります。その一方で、道ばたには炭火で料理をする屋台が並び、ミャンマーのヤンゴンと同じような匂いもしてきます。そういえばミャンマーは隣国、なんとなく街角の雰囲気も近いものが感じられます。

今回のフェアは会場がオープンしている間、朝10時から夜9時までの間ブースを開けておかなければなりません。手配した現地スタッフに加えCLAIR側が2名ずつ、3時間交代で朝9:30から準備を開始し、交代でブースに常駐して、その合間に食事を取り休憩するという忙しいスケジュールとなりました。

隠されたミッション

そんな中、一日数回の休憩の間に私にはもう一つ仕事がありました。

1974年のタイ歴史教科書

これは愛媛県のとある公的文化機関からCLAIR東京本部を通してシンガポール事務所に来た依頼調査ですが、明治時代に活躍した愛媛県出身の法学者で、当時のタイにおいて法律顧問として各種法制整備に尽力し国王から勲章まで受けた、「政尾藤吉(まさお とうきち)」という偉い人がタイの歴史教科書に掲載されているというのです。

政尾藤吉 - Wikipedia

 シャム国王から勲章をもらった日本人

政尾(まさお)藤吉(とうきち)は、明治三年(一八七〇)、大洲中町の御用商人・政尾勝太郎の家に五人の兄妹の長男として生まれています。明治維新で家運は傾き、夫婦は離縁しました。藤吉と長女のはな子は父とともに親類宅に身を寄せ、苦しい生活を送っています。昼間は父の職業である郵便配達を手伝い、夜は学業に励み、喜多学校で英語の魅力にとりつかれました。

明治十九年(一八八六)、十六歳の時に大阪のミッションスクールで学んだ藤吉は、授業に満足できず、東京に出て慶応義塾や早稲田専門学校で英語を学びます。明治二十二年(一八八九)、早稲田を出て、広島の宣教師学校に月給十円で招かれました。しかし、渡米の夢を捨てきれず、わずかな父の遺産に加え、支援者の中野ミツが旅費や生活費を工面し、アメリカ行きが実現。農夫や雑役をして金を稼ぎ、ヴィアンダビルト大学、西ヴァージニア大学を卒業して弁護士の資格を得ました。さらにエール大学に入り、最優秀の成績で世に出たのです。エール大学の助手に推挙されましたが、排日運動が盛り上がってきたアメリカでの身の危険を感じ、帰国の途につきました。

藤吉は、横浜の英字新聞・ジャパンタイムスに迎えられ、主筆として活躍しました。彼の記事が小林寿太郎や大隈重信の目にとまり、外務省からシャム(タイ)の特派員として向かうように要請されます。

当時のシャムは外国の進んだ政治や技術を積極的に取り入れ、国の近代化を進めていました。国王はエール大学で法律を学んだ藤吉に司法顧問を命じます。法典編纂にはベルギー人顧問団がいましたが、藤吉は中心的存在として刑法と社会法の草案を書き上げました。

国王は藤吉の力量に全幅の信頼を置き、司法の主任顧問に任命。国王がいかに感謝していたかは、明治三十八年(一九〇五)の白象三等勲章、四十一年(一九〇八)の王冠第二等勲章の授与と、シャム滞在十五年目での王族待遇を与えたことでわかります。彼は、法律の公爵・ピアー・マヒダラと呼ばれているのです。

大正二年(一九一三)法典の編纂を終えて帰国の途につきますが、国王は王冠大綬章と同族勲章第二等を贈って感謝の意を表しています。大正四年に政友会から推薦を受け、衆議院議員に立候補して当選。六年の改選時にも当選し、国政に励みます。また、アメリカや台湾や南洋諸島、シャム視察の団長ともなりました。

大正九年(一九二〇)、藤吉は特命全権公使としてシャムに着任しますが、翌年、脳溢血によりバンコクで客死。五十二歳の生涯でした。通夜は二週間にも及び、国王は火葬の際、自ら点火して死を惜しんだといいます。

山田長政に並ぶ最高の栄誉をシャムで得た政尾藤吉ですが、地元大洲でさえもあまり知られていないのは残念なことです。

アトラス出版/土井中照著『大洲歴史探訪』(2006年) p.118~p.119 より

その教科書を探し、今後開催予定の彼の展示会に掲載部分を展示したい、というリクエストを受け、現地における教科書探しをこの観光フェアの合間にすることになったのでした。

歴史教科書を探して

この件については事務所の調査員にお願いして、8月からタイ政府を含む各機関に照会をかけていたのですが、なにぶん掲載されていた教科書が古い(1974年版)せいもあり、なかなか思うように所在がつかめませんでした。

そんな中、いくつかの大学図書館に蔵書として存在するという情報も得たのですが、貸出等の作業を考えると、やはり市内において教科書原本を探し出し購入するのがベストな方法だと考え、今回の出張に併せ調査することにしたのです。

事前に得ていた情報を元に、バンコク市内でも最大のマーケットといわれるチャトゥチャック市場まで、スカイトレインを乗り継ぎ向かいました。

チャトチャック市場に来た

チャトチャック市場で大捜索

当然ながらタイ語は読み書きができないので、そもそも市場にたどり着くだけでも一苦労でしたが、市場の中に入ると人、人、人。お目当ての古書店街がどの区域にあるのか、さっぱり分かりません。

しかしこんなこともあろうかと、観光PR会場でブースで来場したタイ人に日本PRを仕掛けている間、私は一計を案じていたのです。

まず、探していた教科書の写真(大学図書館からデジタルで入手済み)を事前にシンガポールでカラー印刷して持参していました。さらに、ブースで一緒に頑張ってもらっていた現地スタッフのキティさん(男性です)にお願いして、

「助けて下さい。
私はこの教科書を探しています。
扱っていそうな古本屋に連れて行って下さい。」

と、A4の紙にタイ語で大書してもらい、それを大事にしまってこの市場に来たのです。

さあ探索開始です。

写真とタイ語2種類の紙を取り出し、スマイルを絶やさず(これが大事)市場関係者っぽい人々に手当たり次第に声をかけます。

しかも日本語で。
ニコニコしながら市場をさまよう姿は、我ながらかなり怪しいです

タイは相手によってはある程度英語が通じる国ですが、それでもインドやフィリピンのようには行きません。中途半端に英語を使うと、通じたはずがまったく見当違いの所に連れていかれることもありえるので、先人の教えにならい「困ったら日本語で通せ。」の精神で頑張ること30分。

やっと古本屋街に着きました!

店主と山盛りの本

喜び勇んで、最初に目に付いた書店の主に紙を見せたところ…おもむろに彼が英語で私を諭し始めました。

「ああ、その本は古すぎてもうないと思うよ…しかも教科書だしね。誰がこんな古い教科書を買って勉強すると思う?商品にもならないしね。あんた何人?日本人?変わった本探すんだねぇ。はるばる来てご苦労だけど、多分ここで1年間ずっと探しても見つからないと思うよ…」
シュリーマン
シュリーマン

…いちいちご説ごもっともでございます。

「大学図書館ならあるなぁ、そうそう、チュラロンコーン大学とかタマサート大学なら絶対あるね。」
シュリーマン
シュリーマン

そう聞いてます。でも貸出手続き大変そうだし、できれば買いたいんですよね。

「ないなぁ多分。絶対ないね。」

…その後、優しいタイの市場人数名に協力してもらい古本屋を回りましたがやはりみつかりませんでした。そうこうするうちに3時間が経ちそうになったので観光フェア会場に戻ることに。
結局、今回の出張ではお目当ての教科書は見つかりませんでした…。

まとめ

といったところで、今後、タイ以外でも国際観光フェアは行われますので、参加することがあればまた状況をご報告したいと思います。
(了)

【福島県シンガポール通信第08回】フィリピン共和国ブラカン州訪問団をシンガポールで受け入れ 2007.9.29
フィリピンのブラカン州からの訪問団30名を前に、初めて英語での長時間のプレゼンに挑みました。

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