「銀座は不思議なところだと思った。銀座はもはや昔の銀座ではない。昔日の銀座の魅力といったものを具体的に構成していたものは、もはや何もない。残っているのは単に道路だけだ。汚い、うすよごれた道路だけだ。しかもなお若い男女が銀座を慕ってやってきている。若い男女の華やいだ遊び場所として依然として銀座が選ばれている。もうそんな華やいだ場所ではないのに、--遊び場所としてはどこだっていいのに、--もはやどことも変わりのない銀座だのに、--しかもなお銀座が選ばれている。
銀座は滅びないと思われた。昔の夢を追って、昔の華やかさを夢みてここへ来るのかも知れないが、昔の夢は失われていてもやはり銀座には何かあるにちがいない。」高見順「敗戦日記」1945年1月14日より
世界のGinza
僕が東南アジアの国々で日本自治体のPR活動に従事していた頃、実に老若男女問わず皆が口々に「日本で有名な場所と言えば?」という質問に「Ginza」と答えたものだった。銀座は中国語でもそのままyinzuo、銀座である。例えばレストランにGinzaを冠した場所は多いし、他にも化粧品や衣服など、Ginzaは東京都中央区のとあるイチ区画というよりも、むしろ日本を代表するラグジュアリーな場所として、いつの間にか海外の国々にも認識されている気がする。
またそれから数年後、僕が業務出張でヨーロッパやアメリカの展示会を巡り歩いている時、訪問したブースで「で、御社は東京のどの辺に本社があるのですか」という質問に胸を張って「銀座です」と答えると、東京の地理に詳しい外国人であれば「ほう銀座」とそれなりに感心してもらえることが多かった。ロンドンでいえばピカデリーサーカスに会社があるとか、ニューヨークなら5th avenueに会社があるとか、そういうイメージなのだろうか。いずれにせよ、Ginzaという地名はもはや日本ローカルのものというより、日本を示す一つのアイコンとして、ブランディングされているように思う。
僕と銀座
さて学生時代、東京の西北で時代遅れのバンカラ生活を決め込んでいた僕にとって、銀座という街には正直言ってついぞ縁がなかった。そもそもがファッションに興味がなかったし、なんだか大人というかむしろ中高年の街という印象で、自分の服装も含めて歩く度に気後れがするので、わざわざ銀座に来てブラブラしようとも思わなかった。
唯一かすったぐらいに縁があったのが、当時中学生だった弟が高校入試に合格したので、お祝いに東京に連れてきて山野楽器のPATAライブに送り込んだ時。シルバーのレスポールを持ち込んであわよくばサインをもらおうとしたらしいけど、なかなか難しかったらしい。その時に、銀座駅の地下道で迷いながら「もう俺も東京に何年かいるのに、全然こういう地下道は歩きなれないな」と思ったことを強く覚えている。(そしてその地下道を今ではほぼ毎日に近いくらい歩いているという。。)
前の会社に入って、ちょうど5年間銀座に通った。楽しいことも辛いことも色々あったけど、でも結構楽しいことばかりだったような気がする。外国のエンジニアを接待する店は大体お決まりの老舗が多かった。時々、昼休みに営業チームのおごりで近くのレストランに行くこともあったし、後半の2年くらいはむしろ積極的に新しい店を開拓しようとしていた。
今では僕は銀座が大好きだ。
週末はたいていここで朝から夜までずっと過ごす。
銀座は宝箱のような街
この「銀座百景」コーナーでは、割と適当な、銀座に関する雑文を書いていきたい。ちなみに僕は、銀座は当てる光源によっていくらでも表情を変える、まるで宝石箱のような街だと思っている。例えば楽器や音楽が好きな人なら、山野楽器やYamahaの店舗で最新の楽器に触れてもいいし、懐かしいシックな雰囲気の喫茶店で往時のヒットレコードに耳を傾けてもいい。和菓子が好きなら、とても1回やそこらではカバーしきれないほどの老舗があなたの来訪を待っているような場所。来訪する人の嗜好に合わせてキラキラと輝きを変えてくれる街、それが銀座だ。
そこに僕という光源を当てるとどんな表情を見せてくれるのか、自分でも楽しみに記事を書いてみようと思っている。
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