【従軍記録】東南アジアと祖父(請求当初版)

祖父の東南アジア従軍記
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前回の記事で、祖父の本籍地福島県庁に兵籍簿を請求した手順を解説しました。

【従軍記録】祖父の兵籍簿を請求してみた
旧陸軍の輜重兵として東南アジアを転戦した祖父の足跡を知るために、本籍地の福島県庁に兵籍簿を請求してみました。書類の集め方、請求方法など詳しく記載してあります。兵籍簿にはまさかの記載もあって興味津々です。

早速、本日到着したばかりの兵籍簿をデジタル化したので、公開できる範囲で僕のライフログとして記載したいと思います。

祖父の従軍記録

(カナ表記等は便宜上、現代の仮名遣いに一部修正してあります)

兵種:輜重兵特務兵
本籍:福島県伊達郡〇〇
氏名:□□△△
大正4年6月○日生

出身別:現役兵
【服役区分】
現役:昭和10年12月1日
予備役:昭和12年12月1日
特業及特有の技能:昭和11年11月24日 鞍工兵
【官等級】
昭和11年10月1日 輜重兵特務兵
昭和15年9月15日 二等兵(勅令第581号による)
昭和17年6月1日 一等兵
昭和19年12月1日 上等兵
昭和21年3月1日 兵長

太平洋戦争開戦前の履歴

高等小学校卒業
昭和10年12月1日 現役兵として輜重兵第二連隊第二中隊に入営
昭和11年10月1日 輜重兵特務兵
昭和11年11月25日 帰休
昭和12年12月1日 予備役に編入
昭和13年 簡閲点呼済
昭和15年9月15日 二等兵に進級(勅令第581号による)

1941/昭和16年(26歳)

昭和16年10月9日 臨時召集下令
10月18日 歩兵第二十九連隊に応召
同日第一大隊本部に編入
10月22日 編成完結
12月1日 移駐のため屯営若松出発
12月2日 愛知県高師陸軍廠舎着
同日より同地付近に於いて支那事変勤務に従事

 

1942/昭和17年(27歳)

昭和17年1月20日 歩兵第二十九連隊補充隊に転属
同日第五中隊に臨時配属
1月24日 通信中隊に配属替を命ず
同年2月15日 東仙補第九一号により輜重兵第二連隊補充隊に転属を命ず
同日第二中隊に編入
(謎の空白期)
12月22日 輜重兵第二連隊に転属
同日仙台出発
12月25日 宇品港出帆(輸送船福洋丸)

 

 

(僕注:ここで謎の空白期が。内地に居て「支那事変勤務」という意味がさっぱり分かりません。補充兵として訓練か何か受けていたのでしょうか?ちなみに第二十九連隊の本体は、この時期ガダルカナルに送られて大変な戦死者数を出します。そっちに行かなくて良かった)

1943/昭和18年(28歳)

1月14日 ニューブリテン島ラバウル港着
15日 上陸同日ココポ着
1月4日より3月8日同地付近に在りて警備
3月12日 ラバウル港出帆(宮殿丸)
3月15日 ソロモン群島ブーゲンビル島エレベンタ着
同日第一中隊に編入
3月12日から4月2日 同地に在りて警備
4月3日 エレベンタ泊地出帆(亜丁丸)
4月5日 ニューブリテン島ココポ着
4月5日より4月19日同地付近に在りて警備
4月20日 ココポ出帆(辨拉丸)
5月6日 フィリピン群島ルソン島マニラ港着
同月9日 マニラ上陸同日パンパンガ州バコロル着
5月9日~11月12日 同地に在りて第二師団再建業務並比島全島粛正討伐参加
11月12日 バコロル出発
11月12日~11月30日 比島ルソン島マニラ市サンタナに於いて乗船のため待期
12月4日 比島ルソン島マニラ港出帆輸送船(順洋丸)
12月12日 昭南上陸
(僕注:ここでシンガポールに上陸)

12月18日 マレーセランゴール州カジャン着
12月18日~昭和19年1月10日 マレー警備に従事

 

 

 

 

フィリピンルソン島

1944/昭和19年(29歳)

ミャンマー関連地図

1月11日 転進のためカジャン出発
1月17日 泰緬国境通過
2月10日 ビルマ・ミャンミヤ県ビナラン着
(1月11日より2月10日ビルマに向かう転進輸送)
2月11日より8月9日の間同地に在りて警備並防衛
8月10日 断作戦参加のためビナラン出発
8月24日 輜二特設第二中隊配属
8月25日 北シャン州ラシオ着
7月21日から10月4日の間ラシオに在りて第一次断作戦参加
11月12日 ラシオ出発
12月16日 ピンマナ県タウンジー着

 

1945/昭和20年(30歳)

2月28日 タウンジー出発
3月25日 緬甸泰国境通過
4月4日 磐谷(バンコク)着
4月15日 泰印度支那国境通過
(昭和19年10月5日から20年4月15日間第二次断作戦準備並時期作戦準備)
4月12日 印支カンボジア国カンダル州タクマウ着
4月16日~5月4日 同地に在りて警備並びに教育訓練
5月5日 タクマウ出発
5月6日 インドシナコーチシナタイニン省タイニン着
(5月6日~11月23日 同地に在りて警備並びに防衛業務に従事)
8月14日 終戦
8月20日 第三中隊に編入
11月1日 精勤章付与
11月24日 タイニン出発
11月29日 インドシナジャーデン省ビンドク着
12月24日 ドンアン着

 

1946/昭和21年(31歳)

タイ・カンボジア・ベトナム関連地図

昭和21年1月10日 ドンアン出発
同日 バリア省フミイ着
3月1日 陸軍兵長を命ず
4月22日 善行証書付与
4月27日 フミイ出発
同日 ラクジャ集結
5月2日 ラクジャ出港
5月11日 大竹港入港
5月12日 同港上陸
5月13日 復員完結
同日 召集解除

 

マップで確認

最初の請求時で分かった祖父の軍歴ポイント

  • 福島県出身、成人した昭和10年に初年兵として入営、1年間訓練を受け除隊(本来、徴兵検査で甲種合格なら2年間現役で訓練を受けるはずなので、もしかしたら乙か丙として補充的な徴兵だったのかも)
  • 雑卒(輜重輸卒)なのでそもそも進級出来ないはずだったが、昭和15年の勅令第581号によって雑卒にも進級の道が開かれた。しかし従軍期間に比して進級が恐ろしく遅い
  • 仙台を原隊地とする、第二師団歩兵第二十九連隊に所属。この連隊はガダルカナルで大変な目にあった部隊だが、祖父は激戦地を上手に避けながら最後はベトナムで武装解除されている様子(ビルマじゃなかった)
  • 僕がシンガポール時代に回った国と都市が、恐ろしくかぶっている。生きているうちに色々話したかったなあ。そして、昭和19年に一度だけシンガポールに上陸している。
  • ちなみにネットで調べる限りだと、歩兵第29連隊の足取りに関して一番祖父の記録に近いのはこのページのもの。
  • 祖父が所属したのは歩兵第29連隊ですが、これは仙台の第二師団所属の連隊で、原隊地は会津若松の連隊のようです。当時の第二師団長は馬奈木敬信中将、例の二・二六事件にも関わりがある陸軍皇道派の将帥でした。

いくつか残る疑問点

兵籍簿の記載内容は以上ですが、入力しながら僕的にいくつか疑問点が残りました。

  • 昔祖父にコピーを貰った記録(紛失)では、確かジャワとガダルカナルに実際に行ったけど、激戦化する直前に運よく移動できたような記載があったような気がします。終戦後の足取りはほぼ覚えている通りですが、昭和18年の足取りが少し記憶と違う。それと、兵籍簿の書式と、僕がもらったコピーの様式が全然違います。「間違ってたから直してもらった」と言っていたようにも思うのですが、これが正なんでしょうか?今後さらに福島県庁に確認する必要があると思いました。
  • 仮にこの記録が正しい場合、①徴兵時に1年だけで帰休した理由、と②昭和17年の大半を内地で過ごしながら「支那事変勤務」という矛盾した記載がなされている意味が分かりませんでした。これも確認していこうと思っています。

次のステップは防衛研究所

とにかくこの記載だけでは、実際に何をどう読み解いていけばいいのかよく分かりません。そこでネットで色々調べたところ、どうも市ヶ谷にある防衛研究所の防衛資料室で色々アドバイスをいただけそうな様子です。電車ですぐ行けるので、早速行ってみることにしました!

続きはこちら↓

【従軍記録】防衛研究所と国会図書館で調査してみた
前回はこちら↓ 祖父の従軍履歴ですが、前回の記事にもあるように非常にざっくりとした記載しかなく、行間というか文脈の外にあるコンテクストを理解するには、インターネットで調べるだけではどうも不十分な気がします。ある程度理解が進んだ...

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