僕と英語その1:学生時代

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英語がつまらなかった中学生時代

僕は今でこそ技術通訳だのシンガポールだのと言っているわけですが、日本の一地方都市のごくありふれた家庭に育ったので、特段小さい頃から外国語や外国人に触れる環境にいたわけではありません。英語も普通に中学校から始めました。

中学時代は可もなく不可もなく、単純に教科書に書いてあることを丸暗記さえしていれば授業とテストはやり過ごせるので、特に何の思い入れもありませんでした。洋楽もほとんど聞いたことがないくらい。

唯一覚えているのが、授業か何かでビートルズの曲を聞かされたのですが(確かPaperback writerだと思う)「何これ早口過ぎて何言ってるかさっぱり分からない」とそのまま洋楽を聞くことを諦めてしまった記憶があります。

高校で開眼

それが少し変わったのは高校に入ってから。英語担任のJ先生が、カセットテープ(!)に洋楽の名曲を数多くダビングした自前の「英語副教材」があって(DJもJ先生が担当)、これを生徒たちに貸し出してダビングさせていました。

今でも4月の曲、1曲目がCCRの”Have you ever seen the rain?”だったことをよく覚えています。割とこのテープは聞いてて、「I like Chopin」とか「Honesty」とか今でも好きな曲です。

あともう一つ英語に触れる機会として、高校2年でロンドンに10日間行ける海外研修があったこと。これが非常に大きかった。僕は入学当初からこの派遣生徒10名に入ることを全力で狙っていたので、考えられる限り最大限のアピールを行い、なんとか無事派遣生徒に選ばれることが出来ました。その時の記録はこちら↓

https://schliemann.tokyo/trip-to-uk-1995/

その過程で、学校の職員室にいつもいたアメリカ人のALTと仲良くなって(というより一方的に押しかけて)色々とアメリカについて教えてもらいました。これも今思うと非常に良い経験だったと思います。(このALTはJETプログラムで来日していて、10年後に僕はまた違った形でJETプログラムと関わることになります。)彼の紹介でイギリスやアイルランド、オーストラリアから地元に来ていた他のALTとも交流を持ちました。この頃フォークギターも始めたので、洋楽をたくさん聞いて弾き語りに興じるようにもなりました。

刺激的なイギリスでの10日間

さて16歳の時に行ったロンドンはとても刺激的でした。さすがにパブでお酒飲んだりは出来なかったけど、代表的な観光地を回りつつ、一般家庭でのホームステイや日本文化アピール、そしてオックスフォード大見学など。当時のことが今でも懐かしく思い出されます。

当時ビートルズのAnthologyが発売された時期でもあったので、それからビートルズにどっぷり浸かった高校時代を送ることにもなりました。

そんなこんなで僕は英語が大好きになったので、それなりに本も読んで勉強もして、高校生としてはかなりの英語力があったと思います。当時の和文英訳、英文和訳の練習がのちに技術通訳になる上で大きな力になったのは言うまでもなく、全く英語力に関しては僕はあの母校には頭が上がらないわけです。

大学では一切英語に触れず

そんな英語ですが、大学に入学したらさっぱり勉強を辞めてしまいました。どうしてでしょうね。当時の僕は第一志望に行けず、また希望していた留学も出来ず捨て鉢だったので、学校には全く行かないで、昼間から大学近辺と繁華街を徘徊する無頼な日々を送っていました。

時々キャンパスに行ってもベンチで昼間から飲酒しているような、心からやさぐれた毎日を送っていた気がします。

でも、卒業させてくれた学校と学部には大感謝です。日本全国広しといえど、全く学校に行かなくても卒業証書をくれるのは、おそらくあの学校のあの学部ぐらいのものでしょう。

その後就いた仕事は地方公務員という夢も希望もない散文的な仕事だったので、数年の間英語は封印することとなります。

続きはこちら↓

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