【従軍記録】東南アジアと祖父(最終版)

祖父の東南アジア従軍記
Revised Army record of my late Granddad
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部隊史を紐解いて初めて分かったこと

以下、書籍を読み込んで分かった点を書いていきます。

「歩兵第29連隊」と「輜重兵第二連隊」は同一師団内の全く別の部隊

当初、僕は祖父が「歩兵第29連隊」に召集されたので、ずっとその連隊にいたまま終戦を迎えていたのかと思いきや、全くそうではありませんでした。むしろ召集されてから割と早い段階で(昭和17年初頭)、歩兵第29連隊から転籍し、以降「輜重兵第二連隊」の中隊を転々とします。もともと彼が現役入営した時の原隊は輜重兵第二連隊だったので、要は原隊に戻ったわけですね。

そしてこの二つの部隊は、ともに「第二師団」の中に入っている連隊群の一つのようです(ややこしい)これに気付かせてくれたのが、部隊史の中にあった第17軍の編成表でした。以下引用します。

ガダルカナルにおける日本軍の編成(昭和17年10月、奪回作戦時)


■第十七軍 司令官 百武晴吉中将■
参謀長 宮崎周一少将
●第二師団 師団長 丸山政男中将●
参謀長 玉置温和大佐
第二歩兵団 那須弓雄少将
_歩兵第4連隊 中熊直正大佐
_歩兵第16連隊 広安寿郎大佐
_歩兵第29連隊 古宮正次郎大佐
野砲兵第二連隊 石崎益雄大佐
工兵第二連隊 高橋卓三大佐
輜重兵第二連隊 新村理市大佐
第二師団通信隊 江崎孝一大尉
第二師団衛生隊 西崎秀雄中佐
●第三十八師団 師団長 佐野忠義中将●
参謀長 阿部芳光大佐
第三十八歩兵団
_歩兵第228連隊 土井武夫大佐
_歩兵第229連隊 田中良三郎大佐
_歩兵第230連隊 東海林俊成大佐
山砲兵第三十八連隊 神吉武吉大佐
工兵第三十八連隊 岩淵経夫大佐
輜重兵第三十八連隊 薮田秀一大佐
第三十八師団通信隊 伊藤遼一少佐
第三十八師団衛生隊 服部乙一中佐
●第十七軍直属部隊●
川口支隊(歩兵第35旅団長)川口清健少将、基幹兵力 歩兵第124連隊
一木支隊(歩兵第28連隊長)一木清直大佐、基幹兵力 歩兵一個大隊、工兵一個中隊
住吉支隊 住吉正少将(砲兵を主力にした臨時編成部隊)
岡部隊(歩兵第124連隊長)岡明之大佐、基幹兵力 歩兵一個連隊
独立戦車第一中隊
独立速射砲第二、第六、第九大隊
野戦重砲兵第四連隊(一部欠)
野戦重砲兵第七連隊第二中隊
独立山砲兵第十、第二十大隊
独立臼砲第一連隊第二中隊
軽迫撃砲第三大隊
野戦高射砲第三十八、第四十五大隊
第四十七大隊の一個中隊

(ちなみに、ガダルカナル島上陸の31,358人中、現地で戦死・戦病死したもの21,138人。ブーゲンビル島へ撤退したもの10,220人、海軍の損害は約3,800人という大損害を受けました。)

「独立」輜重兵第二連隊と輜重兵第二連隊も全くの別物

防衛研究所の相談員の方は、昭和17年に祖父が1年近く仙台にいた理由について「独立輜重兵第二連隊に転属になって、大陸への輸送関係の仕事をやっていて、それがひと段落ついたので改めて南方に出されたのではないか」という推論をしてくれましたが、どうも色々調べると独立輜重兵第二連隊は編成地も原隊も違うので、これは名称が似ている全く別の二つの部隊だと思います。

輜重兵第二連隊の構成

以下、「不屈乃輸送」の記載によれば、輜重兵第二連隊には三個中隊が存在したようです。

第二師団は昭和12年渡満、関東軍司令官、後第三軍司令官の隷下で東満に駐留して同方面の警備に任じていたが、昭和15年9月内地に帰還した。昭和16年11月6日第16軍(ママ)の戦闘序列に編入せられ、出動準備を整えた後「昆明作戦に出陣」を装って12月1日~17日の間に習志野、富士、豊橋、犬山の演習場に至り訓練を重ねた。ついで1月15日から23日までの間に宇品を出発、台湾の高雄を経て仏印のカムラン湾に逐次集合点を推進の後、2月18日カムラン湾を進発、3月1日西部ジャワの泊地に進入して上陸を開始した。当時の師団長は丸山政男中将、師団の通称号は勇兵団であった。

さて輜重兵第二連隊は在満当時東京城、ついで樺林に駐留していたが、15年11月仙台に帰還復員した。当時の連隊長は塩川静大佐であったが、16年3月同大佐は少将に進級の上、陸軍技術本部に転じ、後任には新村理市中佐(26期、後大佐)が着任した。
ついで16年10月8日、輜重兵第二連隊の臨時編成が下令せられ、10月22日その編成を完結した。当時の編成の概要と主要幹部は次の通り。

連隊長 中佐 新村理市(26期)
附   少佐 松永保(特志)
副官  大尉 椿一雄(特志)
第一中隊長 大尉 菅野正雄(特志)
第二中隊長 大尉 安江史郎(特志)
第三中隊長 大尉 有我健一郎(特志)
第一中隊は輓馬、第二・第三中隊は自動車

調査の結果を改めて兵籍簿の記録に反映

国会図書館

防衛研究所と国会図書館での調査によって、第17軍に編成された在仙台の「第二師団」「輜重兵第二連隊」の全容がほぼ明らかになりました。本隊の行動も書籍内の図表ではっきり辿れるので、前回に入力した兵籍簿の内容と、連隊本隊の行動を対照表にして確認していこうと思います。

1941/昭和16年(26歳)歩兵29連隊に召集

兵籍簿の内容
昭和16年10月9日 臨時召集下令
10月18日 歩兵第二十九連隊に応召
同日第一大隊本部に編入
10月22日 編成完結
12月1日 移駐のため屯営若松出発
12月2日 愛知県高師陸軍廠舎着
同日より同地付近に於いて支那事変勤務に従事

輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
昭和16年1月8日 戦陣訓通達
6月7日 第19師団の応急派兵下令
10月8日 輜重兵第二連隊に臨時編成下令
編成部隊並に補充隊要員将校以下召集
10月22日 編成完結、軍装検査、師団長閲兵
12月5日 大陸指示1037号により移駐(千種廠舎)のため先発隊仙台出発、6日千種着
12月7日 本隊仙台出発、12日千種着
12月22日 新村連隊長以下連隊一同、伊勢神宮に参拝
12月27~29日 各中隊御在所山登山
それぞれ下山後、湯ノ山温泉で慰労会
↑この部分、僕はきちんと所属部隊を追えていませんでした。祖父は臨時召集を受けた当初、「歩兵第29連隊第一大隊本部」に歩兵として所属しており、「輜重兵第二連隊」に輜重兵として転籍するのは翌年なのです。この二つは全くの別部隊なので、12月中の行動も全然違います。

「同日より同地付近に於いて支那事変勤務に従事」の謎が解けました!「不屈乃輸送」上巻P225 に

「第二師団は~昭和16年11月6日第16軍の戦闘序列に編入せられ、出動準備を整えた後「昆明作戦に出陣」を装って12月1日~17日の間に習志野、富士、豊橋、犬山の演習場に至り訓練を重ねた。」

とあります。これが「12月2日愛知県高師廠舎着」という記載の背景のようです。要は、太平洋戦争開戦に向けた動きであるのに、開戦前にあからさまに言うことが出来ないので、日中戦争にともなう動員であるとぼやかした表現をしたわけです。

1942/昭和17年(27歳)仙台の補充隊生活

兵籍簿の内容
昭和17年1月20日 歩兵第二十九連隊補充隊に転属
同日第五中隊に臨時配属
1月24日 通信中隊に配属替を命ず
(↑以上歩兵29連隊、以下は輜重兵第二連隊時代↓)
同年2月15日 東仙補第九一号により輜重兵第二連隊補充隊に転属を命ず
同日第二中隊に編入(注:補充隊第二中隊)
12月22日 輜重兵第二連隊に転属
同日仙台出発
12月25日 宇品港出帆(輸送船福洋丸)
輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
昭和17年1月14日 作戦上輓馬中隊はその必要なく編成外となる。第一中隊長以下、下士官・兵100名の将兵は徒歩となり本部中隊に編入された。このため第三中隊は第一中隊となる
1月16日残余の将兵250名と馬匹200頭等は仙台の補充隊に帰隊した
連隊は三重県千種陸軍廠舎出発
1月18日 連隊は宇品出港 馬公要港沖に碇泊、高雄入港 月末頃に出港
2月8日 仏領カムラン湾入港、19日出港
3月1日 連隊主力は蘭領ジャワ島バンタム湾に、第一中隊はメラクに上陸
3月10日 連隊は西部ジャワ・チマヒに進駐、警備勤務
3月11日 第二中隊飛鳥新吉分隊 歩29第一大隊に配属 ジョクジャカルタ付近の警備と輸送、5月20日帰隊
5月25日 第一中隊第一小隊(稲原少尉)、青葉支隊(那須弓雄少将)に編入
5月26日 稲原小隊、ジャワ島タンジョンブリオフ港出港
6月10日 稲原小隊、ミンダナオ島ダバオに上陸同地警備
8月11日 メラク海岸に於て連隊上陸演習を実施
9月10日 稲原小隊ダバオ出港(9/24ラバウル入港、9/27同港出港、9/29ブーゲンビル島ブイン泊地着)連隊主力はチマヒ出発
9月17日 ジャワ島タンジョンブリオフ港出港、本部は九州丸に乗船、輸送指揮官歩29連隊長古宮大佐
10月1日 稲原小隊、ガ島に上陸
10月2日 連隊長同小隊、「ガ」島カミンボに上陸
九州丸ラバウルに入港、車輛及び残置貨物揚陸監視要員として小野兵技曹長以下30名上陸
10月5日 九州丸にてブーゲンビル島ブインに上陸、飛行場設定作業に協力
10月14日 第二中隊、巡洋艦由良にてガ島エスペランスに上陸
10月20日 連隊本部はコカンボナ海岸に進駐
10月24~25日 ガ島飛行場総攻撃開始、失敗
10月26日 攻撃中止
11月3日 連隊本部は勇川上流約1㎞東岸に移駐
11月15日 連隊本部はさらに約600mロ道分岐点に移駐
12月中旬 水無川(ボア川)上流4km西岸後退宿営
・相談員の方に教えてもらった通り、「補充隊」というのは戦地に出ている本隊で欠員が出た場合に、人員を補充するための後方ストック部隊です。基本的に原隊のある場所に、本隊の序列そのままに編成されています。(補充隊の中に、本隊同様に中隊や小隊が存在する)
・仙台の歩兵29連隊の留守隊/補充隊にいた祖父は、輜重兵第二連隊の補充隊に転属となります。8月以降、輜重兵第二連隊の本隊はガダルカナルで苦闘を続けますが、そんな中仙台で訓練を受けていた祖父もようやく年末になって宇品からニューブリテン島に向かいます。ガダルカナル撤退が御前会議で正式決定されたのは12月31日のことで、明くる年から本格的にガ島撤退作戦が始まります。
祖父が、昭和17年に一年近く内地に留め置かれた理由が推測できる部分を見つけました。
昭和17年1月14日 作戦上輓馬中隊はその必要なく編成外となる。第一中隊長以下、下士官・兵100名の将兵は徒歩となり本部中隊に編入された。このため第三中隊は第一中隊となる。1月16日残余の将兵250名と馬匹200頭等は仙台の補充隊に帰隊した
ジャワやガダルカナルでは密林が生い茂っており、馬を利用した通常の輜重輸送が出来ません。そのため、軍馬とそれに付随する兵士はこの時点で仙台に戻されたのです。体格が大きいわけでもなく、鞍工兵の資格を持つ祖父も、国内で待機する人員に含まれたのではないでしょうか。結果としてそれが命拾いとなった側面もあると思います。

1943/昭和18年(28歳)ソロモン→フィリピン→マレー

兵籍簿の内容
1月14日 ニューブリテン島ラバウル港着
15日 上陸同日ココポ着
1月4日より3月8日同地付近に在りて警備
3月12日 ラバウル港出帆(宮殿丸)
3月15日 ソロモン群島ブーゲンビル島エレベンタ着
同日第一中隊に編入
3月12日から4月2日 同地に在りて警備
4月3日 エレベンタ泊地出帆(亜丁丸)
4月5日 ニューブリテン島ココポ着
4月5日より4月19日同地付近に在りて警備
4月20日 ココポ出帆(辨拉丸)
5月6日 フィリピン群島ルソン島マニラ港着
同月9日 マニラ上陸同日パンパンガ州バコロル着
5月9日~11月12日 同地に在りて第二師団再建業務並比島全島粛正討伐参加
11月12日 バコロル出発
11月12日~11月30日 比島ルソン島マニラ市サンタナに於いて乗船のため待期
12月4日 比島ルソン島マニラ港出帆輸送船(順洋丸)
12月12日 昭南上陸
12月18日 マレーセランゴール州カジャン着
12月18日~昭和19年1月10日 マレー警備に従事

輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
昭和18年1月22日 連隊本部、水無川よりボネギ川西岸に後退、1/27セキローで離党命令本部受理
1月下旬 高城中尉以下ガ島収容隊、ブ島に於いて設営作業
2月4日 連隊はカミンボより駆逐艦大潮に乗船ガ島撤退
2月5日 ブーゲンビル島エレベンタに上陸同地警備(注:この間に第一中隊に編入)
4月3日 エレベンタより貨物船に乗船、同地出港
4月5日 ニューブリテン島ココポに上陸、同地警備
同地で佐藤政男見習士官外100名の補充を受ける
4月20日 ココポ出港
4月29日 パラオ島に寄港
5月6日 比島呂宋島マニラに上陸
5月9日 バコロルに駐屯警備並に再建業務
11月5日 マレー転進のため先発隊はバコロル出発
11月12日 連隊主力バコロル出発、同日マニラ市サンターナ競馬場で乗船待ち 大洪水により溺死者を出す
12月2日 連隊主力マニラ港出港
12月12日 シンガポール上陸
12月16日 マレー半島セランゴール州カジャンに駐屯警備

フィリピンルソン島

1944/昭和19年(29歳)ビルマ

ミャンマー関連地図

兵籍簿の内容
1月11日 転進のためカジャン出発
1月17日 泰緬国境通過
2月10日 ビルマ・ミャンミヤ県ビナラン着
(1月11日より2月10日ビルマに向かう転進輸送)
2月11日より8月9日の間同地に在りて警備並防衛
8月10日 断作戦参加のためビナラン出発
8月24日 輜二特設第二中隊配属
8月25日 北シャン州ラシオ着
7月21日から10月4日の間ラシオに在りて第一次断作戦参加
11月12日 ラシオ出発
12月16日 ピンマナ県タウンジー着

輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
昭和19年1月1日 第二師団ビルマに転戦下令
1月11日 連隊主力はカジャン出発(鉄道輸送)
1月16日 タイ・ビルマ国境通過
連隊主力はモールトンにてサルウィン川渡河、マルタバンより鉄道輸送、ミンガラドン経由(ラングーンに入らず)バセインまで鉄道輸送、そこから船舶輸送
1月31日 連隊主力はミャンミヤに集結、同地警備
4月22日 山口英男少佐、連隊長に着任
8月5日 第一次段作戦に参加のため先発隊ミャンミヤを出発
8月17日 連隊主力ミャンミヤを出発
8月18日 敵機の襲撃により戦死者5名、ラングーンより鉄道輸送にてラシオに向かう
8月24日 特設中隊ラシオに於て編成 中隊長乕井信之中尉(牛車編成二頭曳、兵1名で5車担当)
(↓以下は連隊本部の行動、祖父とは別行動)
8月27日 ラシオ出発
下旬 本部は芒市に到着、龍陵転出資材搬出作戦
10月6日 芒市出発、7日中国・ビルマ国境通過
7日 ビルマ国マンコンに後退し警備執務
11月3日 マンコン出発
11月30日 中部ビルマ、ピンマナ県キュツペーに後退し同地方警備輸送

1945/昭和20年(30歳)カンボジア・ベトナム

兵籍簿の内容
2月28日 タウンジー出発
3月25日 緬甸泰国境通過
4月4日 磐谷(バンコク)着
4月15日 泰印度支那国境通過
(昭和19年10月5日から20年4月15日間第二次断作戦準備並時期作戦準備)
4月12日 印支カンボジア国カンダル州タクマウ着
4月16日~5月4日 同地に在りて警備並びに教育訓練
5月5日 タクマウ出発
5月6日 インドシナコーチシナタイニン省タイニン着
(5月6日~11月23日 同地に在りて警備並びに防衛業務に従事)
8月14日 終戦
8月20日 第三中隊に編入
11月1日 精勤章付与
11月24日 タイニン出発
11月29日 インドシナジャーデン省ビンドク着
12月24日 ドンアン着

輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
(以下連隊本部の行動)
昭和20年1月15日 第二師団、インドシナに転進下令
2月18日 連隊本部はキュツペー出発
2月28日 ビルマ・タイ国境通過
3月7日 タイ・仏印国境通過
3月8日 仏領カンボジア国プノンペン着
3月9日 明号作戦に参加、仏軍自動車隊を急襲
3月15日 カンボジア国カルダル省タツコマに移駐警備
5月1日 タツコマ出発
5月2日 インドシナ・タイニン省タイニンに移駐、同地付近警備
8月15日 終戦詔勅放送

タイ・カンボジア・ベトナム関連地図

1946/昭和21年(31歳)ベトナムから復員

兵籍簿の内容
1月10日 ドンアン出発
同日 バリア省フミイ着
3月1日 陸軍兵長を命ず
4月22日 善行証書付与
4月27日 フミイ出発
同日 ラクジャ集結
5月2日 ラクジャ出港
5月11日 大竹港入港
5月12日 同港上陸
5月13日 復員完結
同日 召集解除

輜重兵第二連隊の行動(「不屈乃輸送」より)
(以下連隊本部の行動)
昭和21年1月27日 ドニマアン出発同日バリア省フミイ移駐
5月4日 内地帰還のためフミイ出発
5月11日 サンジャックより空母葛城に乗船出港
5月17日 広島県大竹港に上陸
5月18日 復員完結

これで、大分所属部隊の行動がはっきりしました!あとはこの兵籍簿が最終版で完全なものだということが確認できれば、これで祖父の従軍記録調査も完結です。

福島県庁に再度確認してみた

念のため、この兵籍簿の記録が最終で他に資料がないのか福島県に再度確認してみたところ、専門員の方のお話では

  • 家の祖父が持っていた史料は、仮説だが「陸軍戦時名簿」のコピーではないか。
  • いずれにしても、県庁には兵籍簿しか残っていない

というお話でした。これ以上確認はできないようなので、一旦ここでこの調査は集結です。(完)

 

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