昨年11月に行ったテキサスの展示会で見つけた、英国オックスフォードの新規メーカーとイタリアの製薬系機器メーカーを訪問。しかし出発日、東京はかつてない大雪に見舞われフライトもキャンセルに。二日後仕切り直して、寒い中イギリスとイタリアを回ってようやく帰ってくることが出来ました。
大雪で成田空港は陸の孤島に
個人的に真冬の出張は嫌いです。移動中はずっと寒い思いをするし、出張先でも天気が優れずいい写真も撮れないし。しかし必要があれば出張には行かねばなりません。自分が関わった展示会で発掘してきたメーカーであればなおさらです。
今回の出張は、本来なら先にイタリア中部ボローニャ近郊にあるファエンツァという焼き物の街にある某メーカーを訪問し、それからイギリスに移動してオックスフォードを訪問する予定でした。しかし出発前日の2/8に降った大雪の影響で、成田空港がほぼ閉鎖状態で陸の孤島と化し、僕と営業マン2名は稲毛駅までしか進むことが出来ず、結局飛行機はキャンセルとなり仕切り直す事態になってしまいました。

魔のJR稲毛駅、ここから結局一歩も進めず。
フライトそのものは二日後の2/11発に振り替えが出来たので、イギリスのアポをそのままにして、イタリアのアポを次週の月曜に変更してもらいます。どうしてもこういう不慮の事態による日程変更は避けられないものです。粛々と対応していく以外にありません。
ほぼ20年ぶりのオックスフォード
僕が高校時代にオックスフォードを訪問したことは別稿で書きました。
https://schliemann.tokyo/trip-to-uk-1995/
その時は真夏だったので、今回来たオックスフォードはまるっきり違う天気で戸惑いました。でも面白いもので、こういう街はたかだか20年程度では基本的な部分は全然変わらないのですね。一気に高校時代に気分が戻されて、とてもセンチメンタルになりました。
今回アポを取ったメーカーは、オックスフォードの有名なアップルトン・ラザフォード研究所からスピンオフで創立されたベンチャー企業で、ある種のレーザーを利用したとてもユニークな機器を開発しています。幸いなことに、これから英国外でセールスを増やそうと出店した最初の展示会で、我々と出会うことになったのです。彼らにとって日本は全くの手つかずの市場だったので、とんとん拍子に提携の話が進み、会社規模を確認するために今回僕ら3名が出張することになった、とこういうわけです。
ロンドンに到着後、BritRailでOxford Southに移動してその日は終わり。あくる日、すでにテキサスで会ったB博士から社内的に手配されていて、僕らの対応をしてくれるD博士が僕らが泊ったPremier Inn Didcotに迎えに来てくれました。彼はかつて日本に2年ほど住んでいたことがあり、宇都宮にいたということで僕の地元郡山についても結構知っていて話が弾みました。誰がどこで何と繋がっているのか全く分からないのが、人の世の面白さです。
カレー問答
少し話はズレますが、僕はこのD博士と結構話が合って、日本とイギリスについて色々意見を交換したことを思い出します。2015年に彼が富山や大阪で客先を回るアテンドをつきっきりでしたのですが、アジアに詳しい彼が「どうして日本のカレーは、タイカレーやインドカレーと全然違うのにカレーって銘打っているんだ?」と聞くので、僕は彼に講釈を垂れたものです。
「それについては面白い話がある。実は日本のカレーはインドやタイから来たものではない」
「ほう、なら何処から?」
「実は明治時代、日本の海軍が模範としたのはイギリス海軍だった。海の上では曜日の感覚がなくなるから、金曜日はカレーの日と決まっている。もちろんカレーも英国海軍式。ところで、日本カレーの具材は肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎだ。この材料構成、何かを思い出しません?そう、英国のシチュー。アイリッシュシチューとかあるでしょう」
「ああそうか!そういう具材だね」
「で、海軍に徴られた軍人たちが、退役してもカレーが懐かしくてたまらないと。日本中に英国スタイルのカレーが広まって、国民食と言われるようになったのはそういう経緯があると僕は思っている。そして、日本人一般は自分たちの日本カレーが実はイギリスのシチューにカレースパイスを入れた料理だとは認識せずに、いつも美味しくそれを食べている」
という話をしてあげたのです。彼はこの話を聞けてよかったと感謝していました。といっても、僕も実はこの話自体は司馬遼太郎の受け売りでしかないのです(学生時代、司馬遼太郎の著作はほぼ全て読破した)が、意外とこういう小ネタのあるなしで、相手はこちらの知性を計ってくるものです。僕は彼を思い出すとき、いつもこのカレー問答を懐かしく想起します。
メーカー訪問
さて話を戻しましょう。新規開拓のメーカーに初回で訪問する際、色々と確認しなければならない事項があります。会社の雰囲気、場所、建物の規模、社員の表情etc。人に会う時の第一印象と一緒で、会社の第一印象というのは、振り返ってみるとやはりその会社の人となりを余すところなく表現するものです。もちろん、逆も然りなので僕らも先方にはかなり見られています。こういう時、まだ取引がない段階ではこちらもできる限り誠実に対応していく以外に方法はありません。これからの見込み、想定される客先など、資料も入念に作りこんで、先方の製品に惚れ込んでいる点を強くアピールする。考えてみれば、これは客先開拓に限らず、何らかの新しい関係を結ぼうとする時に常に必要なプロセスであると言えるかもしれません。
結果から言うと、この時僕ら3人は彼らの「オーディション」に無事合格したようで、帰ってきた次の週にメーカーから代理店契約書のひな型が送られてきたときにはとてもうれしかったです。イチから新しい商材を探して契約する楽しみを、この時に存分に味わいました。
ゆっくりとロンドン見学
オックスフォードの会社訪問は2日間で、その中で街中を駆け足で見て回ったり、夕食の会食があったりと慌ただしく過ぎました。週末にかけてイタリアに移動しなくてはならないので、高速バスでロンドンに戻ります。前回ロンドンに来た時はゆっくり見て回る時間がありませんでしたが、今回は土曜日まる一日と日曜の午前を費やすことが出来ます。思う存分、ファッションやらビートルズゆかりの地を満喫してきました。

駆け足でロンドン観光
そして初イタリアはボローニャに
さてロンドンで十分鋭気を養った後は、イタリアに移動します。ボローニャ国際空港に到着後、ボローニャ駅に移動、イタリア国鉄で近郊のファエンツァという都市が目的地です。ある意味、初めてイタリアに来る都市がボローニャというのは正解だと思いました。僕にとって、イタリア料理のスタンダードは全てこの街で食べたものがベースになっています。中部イタリアが誇るグルメ都市です。

国鉄ボローニャ駅前
残念ながら到着した日は日曜日で閉まっている商店ばかりでしたが、それでも街中を散策し、色々と興味深いものを見て回りました。それから国鉄でファエンツァまで30分で到着します。

到着
グローブ機器メーカー訪問
ファエンツァという街は、かつて16世紀ごろに陶器の街として名声があった場所だそうで、今でも焼き物の世界ではファイエンス焼きというカテゴリで名前が残っているくらい、一時期流行した焼き物の産地らしいです。そんな歴史ある街に僕らが訪問するメーカーはあります。この会社は製薬関係のアプリケーションで、ラボ等で使用される手袋に漏れがないかを検知する精密機械を設計販売しています。
僕はここで、イタリア時間の洗礼を浴びることになりました。まず、朝の指定時刻が結構早く、8時半に先方の会社に来るよう指定されます。それから会議室に籠ってずっと打ち合わせやら簡単なトレーニングを受け、そしてお昼の時間に。今回泊っているホテルの1Fが、街でも有数のレストランになっているので、そこに戻ってランチをご一緒します。
ですが、このランチが半端なく長い。12時過ぎに開始したのに、最初からワインをたしなみつつ、結局料理(割とフルコース)が出終わったのが午後2時半。デザートを食べてこれで終わりかと思ったら、また雑談が3時過ぎまで続き、ようやく会社に戻ってきたのが3時半です。日本ではありえないし、他の国でもちょっとありえないイタリア時間。噂には聞いていたが、ここから午後の仕事が始まるのです。そして終業は結局夜7時過ぎで、それからホテルに一旦戻って、今度は夕食会が8時過ぎから11時半まで続きます。今回の長旅の疲労が蓄積しているところにこれですから、同僚はすでにグロッキー状態。
イタリア流の値踏み
でもこのやり方にはちゃんと理由があるんです。つまり、知らない同士が長時間食べ物を食べながら一緒にいると、自然と相手のキャラクター、興味、家族構成その他様々な要素を知ることが出来ます。食べ物を食べるスピードやマナーで相手の性質も分かってしまうような気すらしてきます。つまりはこれが、イタリア流のビジネス会席、相手の値踏みをする場なのでしょう。
こんな時、僕の役目は単なる英語通訳ではなく、日本の話やイタリアの話、出張の話など、両サイドの人々がなるべく話題に参加できるようなネタを探してはひたすら降り続ける、会話の進行役にならなくてはなりません。でも、基本的にこのイタリアのメーカーの人々も英語には堪能ですから、両者の交流は思ったより難しくないのです。困ったらアニメネタかグルメネタに逃げ込めばいいのですから。

食い倒れの街ボローニャ
イタリアのテーブルマナーを学ぶ
それにしても、海外出張で現地の人に現地の料理を紹介してもらうと本当に気付きがいっぱいあります。僕は今回ボローニャに来れたおかげで、現地の人がどういう風にワインを選び、ワインが運ばれたら最初にホスト役が味見をし、どう料理を取り分けて食べていって、最後にグラッパ(もしくはノッチーノ)を飲み干してドルチェとエスプレッソで締めるのか、その一連の流れを何度も体験することが出来たのが大きな収穫でした。こればかりはいくら本を読んでも一生身に付きません。オーダーの仕方についても、メーカーの人に色々細かく教えてもらえたので次回からは僕一人でもきちんとアテンドが出来そうなくらいの最低限の知識は付きました。
もちろんこちらの服装や身だしなみも大事ですし、ヨーロッパの人にはヨーロッパのマナーがあることを身に染みて痛感した出張でもありました。この経験を今後に生かしていきたいと思います。
以上、大雪の中ヨーロッパを駆け回った今回の出張でした。
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