【福島県シンガポール通信第03回】ミャンマー旧首都ヤンゴン訪問 2007.6.19‐21

福島県シンガポール通信
Trip to Yangon, Myanmar 2007

(本稿は2007年に福島県国際課HPに掲載された原稿を再構成したものです)

ミャンマーに初出張

突然ですが、皆さんはミャンマーと聞けば何を連想されるでしょうか?

ビルマの竪琴、アウンサンスーチー氏、軍事政権、ビルマという旧名、仏教と仏塔の国・・・日本国内にいて普通にニュース等に接している分には、あまり情報が入ってこないと思います。

正直なところ、私もCLAIRシンガポール事務所に来てミャンマー担当を命じられるまで、この程度の知識しかありませんでした。

なぜ、しばしばミャンマー(ビルマ)とカッコ書きで併記されるのか。
英語圏のニュースではMyanmarよりもBurmaと表記される場合がよくあるのは何故か。

そこには、ごく近い時期に起きた様々な国内事情が色濃く反映されているのです。
そういった各種事情を、遅ればせながらこの4月から詳しく学ぶことになった次第ですが、今回初めてかの地を訪れることが出来ましたのでその内容をご報告いたします。

今回の出張目的

今回の出張の目的は、CLAIRシンガポール事務所の事業の一つである「専門家派遣事業」が今年度実施可能かどうか、ミャンマー内務省のコンタクトパーソンと下協議をするというものです。

この事業については、当事務所のホームページにも説明がありますが、簡単に言えばスキルを持った自治体職員を現地に派遣することにより、各種の技術開発協力を行うというものです。今年度は、農業による地域振興に詳しいある自治体職員の方をミャンマーに招き、内務省の職員に対しセミナーを行うという予定で協議を進める予定でおります。

「旧」首都ヤンゴン?

ちなみに、なぜタイトルで「旧首都ヤンゴン」という表記をしたかといいますと、実はミャンマーの首都は最近までヤンゴン(旧名ラングーン)だったのですが、2005年11月に政府機能を全てミャンマー中部の街ピンマナの郊外、ネピドー(Nay Pyi Taw)に移転する旨政府が決定し、中央官庁が全て新首都ネピドーに移転したために旧首都になったという事情があります。

いずれにせよヤンゴンは歴史のある街です。また私の個人的な話で恐縮ですが、旧陸軍の輜重兵として先の大戦に従軍した祖父が、英軍に降伏後捕虜として数年を過ごしたのがビルマの地だったということもあり、こうしてこの地を訪れるのも何かの縁かと思わないでもありません。

訪問内容

出張の話に戻りましょう。
20日にまず我々は在ミャンマー日本大使館を訪問し、公使と政務班・経済班の館員の方々にお会いし、ミャンマーの各種事情について貴重な最新情報を伺いました。

日本大使館にて

また、国際協力事業を幅広く展開されているJICAミャンマー事務所でも、所長以下3名の方々に時間をさいていただき、CLAIRの専門家派遣事業について説明するとともに、ミャンマーにおける国際協力事業の状況についてブリーフィングいただいた次第です。
お忙しい中ご対応いただいた皆様にはここでお礼を申し上げたいと思います。

JICAミャンマー事務所

次いで21日には、ミャンマー内務省のコンタクトパーソンの方にお会いし、今回の事業の内容、今後のスケジュール等について協議を行いました。この方はミャンマー側の窓口として長年CLAIRと付き合いがありますが、実は2006年にCLAIRの他の事業で内務省局長に同行して東京視察に日本を訪れており、その際に東京本部にいた私も一日お付き合いして東京を案内したことがあったため、一応の面識はありました。
英語の堪能な方なので協議もスムーズに進み、今後事業の実施に向けて動くことで無事会談を終えることが出来ました。

ミャンマー内務省関係者と

ミャンマー豆知識

さて、ここで今回の出張で仕入れた私的ミャンマー豆知識をいくつかご紹介しましょう。

実は市内は平和で安全、物価も安い

「ミャンマー軍事政権」という響きから、私は街角の至る所に銃を携えた兵士がウロウロする怖い国かと漠然と思っていましたが、全然そんなことはありませんでした。兵士は軍事施設の周囲にいるだけで、街中は至って平穏そのもの。
通貨はチャット(Kyat)ですが市内ではUSドルが通用します。どういうカラクリかは分かりませんがチャットに比べてドルが強いため、日本のドライビール350mlが1USドル(100円程度)で買えたりします。

街中の屋台

レトロな日本車がいっぱい

シンガポール・インド・タイ・マレーシア・インドネシアなど、東南アジアの各国はかつての英領統治の影響か、日本と同様に自動車が左側通行の国が多いです。そんな中、元英国領であり当然のように左側通行だったミャンマーは、ビルマ社会主義時代に突如方針を180度転換、右側通行に変えてしまいます。当然、自動車も左ハンドルでないと左折や追い越しが危険でしょうがないのですが、なぜか市内を走っているのは中古の日本車。当然右ハンドル。
なんでも、日本では廃車になってしまうような、走行距離何十万キロという車を安く輸入して、部品をうまくやりくりして修理しながら使用しているそうです。ガイドさんの話によれば国内を走行する車両の90%以上はそういうレトロな日本車だとか。
私が見た限りでは、60年代の日本車もありましたがメインは80年代のセダンタイプのようです。小学生の頃、父親が運転していたものと同型のカローラバンを見つけた時は懐かしさのあまりじっと見つめてしまいました。
なお、ミャンマーは天然ガス資源が豊富なため、ガソリンに代わってガス車が増えているのも大きな特徴です。

千葉〇通のバス

おなじみ京都〇営バス

パゴダ・仏像がすごい

国民の95%以上が仏教徒と言われるミャンマー。しかも日本のような大乗仏教ではなく、上座部仏教(衆生の救済が目的ではなく、あくまで個人の修行によって悟りに到達しようとする仏教)の国なので、寺院の数も多ければ僧侶も街の至る所で見かけます。しかも彼らは市民から尊敬を受けているようです。生涯を仏道に捧げる人はもとより、なんでもミャンマー人の男子には一生に少なくとも一度は僧侶生活を送らなければならない慣習があるらしく、ガイド氏も日本留学から帰ってきてから僧院に2週間ほど入ったそうです。
下の写真の内、左側はミャンマー3大パゴダ(仏塔)の一つ、ヤンゴン市内にあるシュエダゴンパゴダ。夜間の拝観でしたが、こればかりは言葉で表すのは難しい素晴らしさで、塔の頂上には国中の富豪から寄進された数多くの宝石が収められているそうです。

ミャンマー随一の仏塔

 

また、次の写真は寝釈迦の像。下に写っている私と比べてもどれほど大きいか想像がつくかと思います。

興味のある方はぜひ一度ミャンマーにお越し下さい。
どことなく懐かしい原景がこの国にはあります。
(了)

続きはこちら↓

【福島県シンガポール通信第04回】ミャンマー新首都ネピドー訪問 2007.7.15-18
前月のヤンゴン訪問を受け、ついに新首都ネピドーを訪れることが出来ました。よほどの用事がないと気楽に来ることが出来ない場所です。建設ラッシュの首都風景についてご紹介しています。帰路は豪雨でフライトがキャンセルになり急遽陸路で夜通し走るはめに。

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